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多田富雄 『生命をめぐる対話』(ちくま文庫)2/2

 p217−9  VS 中村桂子生命誌研究者 理学博士) 
 「超システムとゲノムの認識学」
 多田  生命を還元論で考えて精密機械と片づければ、ある種の人々はそれでいいのかもしれないけれど、生命現象にはそうじゃない部分があります。昔は、あるレセプター(受容体)に対応する外界からの刺激によって細胞は興奮して、何かアウトプットを作り出すと教えられてきました。例えばインシュリン・レセプターにインシュリンが結合すると、糖の取り込みが起こって細胞膜の運動が起きる、などという一本調子のことを教えられたわけです。
 ですが免疫の研究などをしていますと、そんな単純な機械じゃないというのがわかってきます。たとえばT細胞という、異物を認識する受容体を持つ細胞の場合、その受容体が異物を認識すると、その細胞は必ずサイトカインという異物攻撃物質を作るために分裂を始めるかというと、そんな一本調子なことではありません。あるときは死をプログラムしている遺伝子を働かせて自殺してしまうし、またあるときはいわゆるアナジーといって反応することをやめてしまう。アナジーになると異物を認識しても二度と反応しません。
 つまり、細胞はひとつのレセプターからの刺激で反応性が規定されているというような分子機械ではないわけです。同じ刺激に対して一つの細胞が、いろいろな反応のオプションから一つのことを選び出すんです。刺激を伝えるための細胞内の分子がリン酸化する過程を見ますと、一個の細胞でありながら驚くほど複雑な情報伝達系とその調節系を持っています。そして、それらを次々に利用しながら、攻撃や自殺や無反応といった多様なアウトプットとしての遺伝子を発現させる・・・・・・、生命のシステムというのはまことにすごいものだと思います。
 中村  機械論ですと一対一という考え方になりますが、生物の場合は一対一ということはほとんどないと言っていいくらい、一対多でいつもやっていますね。構造体としてはそんなに複雑ではない、部品としてみるとそんなに複雑ではないけれども、一対一でないために、とても微妙なことができている。
 多田  シュレージンガーという生理学者が「ペニー・ガム方式」と皮肉ったように、何かの(たとえば1ペニー銅貨という)入力があったとき、いつも決まった(ガムが出てくるという)結果が現われるというのだったら、それが科学者にとって一番気持ちがいいのでしょう。しかしそんな初等数学の方程式のように行かないのが生物系の特徴なのですね。なにせ38億年かけて、地球系という自然が作り上げてきたシステムなのですから。たかだか二千年の数学、物理学、論理学ではいまのところ太刀打ちできません。

 p274−6 VS 畑中正一(元京都大学ウィルス研究所所長)
 「ウィルスが持つ遺伝子言語のレベル」
 多田  私たち人類が象徴的な能力を持ち始めたのは、約3万年前のクロマニヨン人からだと言われています。クロマニヨン人ネアンデルタール人を駆逐しますよね。そのころかららしいです。ネアンデルタール人は絵を描いていませんから、どうも象徴的な能力がなかったようです。
 言語もそのころ突然現れたらしいんです。潜在状態にあった有名なPXⅡ遺伝子が突然変異で発現したのでしょうか。しかし突然現れた言語というのは、ほとんどナンセンスの、「アー」とか「オー」とかそういう発音だけがあったのでしょう。それが組み合わされているうちに、意味というものがだんだん生まれていったはずです。そうすると一回意味が生じて、「マンマ」でもいいし「ママ」でもいいですが、そういう指示能力のあるものができると、それが繰り返されて次第に意味のあるものが積み重なっていく。
 意味のあるものが少しずつ増えていっても、無意味な言葉もおそらく温存していたでしょう。すると、意味ある言葉と無意味な言葉を重ねれば、新しい意味のある言葉になる可能性が生まれる。新しい無意味な言葉もどんどん増えますが。・・・・・・・そんなことをやっているうちに、言語の基本形ができてくる。これがますます複雑化していくわけですが、それはDNAがだんだん複雑化してゲノムを作るのとほとんど同じ現象と言っていいですよね。
 畑中  まったくそうでしょうね。
 多田  しかもゲノムがいったんできると、それぞれの遺伝子の産物がお互いの役割をもって相互作用を起こして、いわゆる遺伝子族というファミリーができてきますね。その一群の遺伝子族の中には、初期の言語と同じように、意味のない塩基対がたくさんあるはずです。そしてゲノムは、おそらく間違いなく、その意味のない塩基対もまとめてを取り込んでいますから、ヒトのゲノム全体で30億塩基対のうち、使っているのは数パーセントというような複雑なものになったのでしょうね。
 畑中  非常に単純な言語ができ始めたときに、「アー」でも「オー」でも「ママ」でもいいんですが、例えば「ママ」だとお母さんでもあり食べるものでもあり、赤ちゃんがお母さんに催促する言葉でもあるという、ダブルミーニングというようなことはやっていませんか。
多田  やっていたと思います。一つのものがいろいろな目的で使われたと思います。「ンマンマ」というのは、母であったり食べ物であったり乳房であったり。
 畑中  でしょうね。私の研究分野だったウィルスがそれをやっているのですよ。ウィルスは、要するに遺伝言語に文字が非常に少ないわけです。エイズウィルスならたったの9000文字だからわれわれみたいに30億文字を潤沢に使うというわけにはいかない。最初に出る塩基対を少し間隔を開けて二通り三通りにも使うというのは、彼らの多義的な情報伝達の仕方としてはやむを得ないところがある。
 彼らは非常にプリミティブなところでやっている。クロマニヨン人の言語形成と似たところがあるんじゃないでしょうか。これは単なるアナロジーではないと思います。数学でフラクタルというものがありますよね。スケールが全く違う大きな世界と小さな世界が、意外と似ていることがある。たとえば素粒子という極微世界と宇宙という極大世界。外界の道路交通ネットワークと体内の血管系・神経系ネットワーク。一見なんの関係もなさそうですが、これらはみなフラクタルです。
 畑中  言語というものをひとことで言うと、「情報の伝達の仕方」ですからね。遺伝情報の伝達も言語情報の伝達も、「情報」の伝達であることに変わりはありません。
 多田  がん遺伝子に関して言えば、感染性のウィルスとして入ってきたものを、遺伝子言語の多義性によって発がんのために使ってしまったんですね。本当は、もう少し利口に、細胞の増殖とか分裂を制御するために使っていたんでしょうけど、言語が多義的なものだからがんを増やすことにも使ってしまった・・・・・・。