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グレゴリー・ロバーツ 『シャンタラム』(新潮文庫)2/2

 中巻 p87-8
 プロとして法を犯している“ストリート・ピープル”――闇商人どもが、その陰謀と詐欺の入り乱れるネットワークの中に私を受け入れてくれたのには、いくつか理由がある。なかでも重要だったのが私が「白人」だったということである。かつて彼らを牛馬のように使役した白人が、彼らの世界のほぼ底辺で、泥にまみれた場所にうまく溶け込み、くつろいで暮らしているという事実。その事実が街角を職場にしているインド人の心の繊細な部分を巧みに刺激したのである。
 プライドと恥が奇妙に入り混じった世界で、私という人間の存在が彼らにとっては自分たちの犯罪を正当化するものになったのだ。白人も同じことをやっている以上、自分たちが日々やっていることが悪いわけがない――要するに、私の転落が彼らの地位を高めたのだ。
 p207
 (私は彼らの犯罪ネットワークの中にいたのに、)彼らは刑務所にいた私を助けることをしなかった。誰ひとり私を探そうとさえしなかった。それは、誰ひとり白人の私が逮捕されたなどとは思いもしなかったのだ。白人の私は単にスラムでの暮らしに飽きて、彼らの客である観光者や旅行者のように、快適な国での快適な暮らしに戻ったのだろう――彼らはそうとしか思わなかったのだ。
 ひどいスラムで一緒に生活してきたあとでも、気まぐれを起こせばいつでも、さよならも言わずに去ってしまう――そんな人間なのだと彼らに思われていたことに、私は驚き、傷ついていた。
 
 p396
 私は悲しみ(トリステス)の達人だ。悲しむというのは人間特有のすばらしい行為だ。喜びを表せる動物はたくさんいるが、悲しみという崇高な感情を表せるのは人間しかいない。私にとって、悲しむというのは特別なことなのだ。毎日おこなう瞑想のようなものだ。
 p558-9
 人は初めて誰かを心から愛するようになると、相手が自分を愛してくれなくなることを何より恐れるようになる。が、本当に恐れなければならないのは、相手が死んでしまったあとでさえ自分がその相手を愛するのをやめられないことなのだ。友よ、きみにもう与えることのできないその愛が、息さえできなくさせることがある。君がいなければ星も見えず、笑い声も聞えず、眠りも訪れないことがある。

 下巻 p101-2
 私は、アフガン戦争に赴くボンベイマフィアのボスから愛されているかもしれないという疑惑だけで、その、ボスと親しい教授に嫉妬した。見も知らぬ、おそらくは会うこともないであろう物理学者に。嫉妬というのは、嫉妬を生む傷ついた愛同様、時間にも空間にもすじの通った理由にも、重きを置かない。その男の名前に似た、まったくアカの他人の名前を聞いただけで、その男を憎んだりするのだ。
 p132
 アフガニスタン人はそもそも銃やその扱い方に関する知識を仕入れることに貪欲だった。だからと言って、それは凶暴さや残忍さの表れというわけではない。アレクサンダー大王フン族スキタイ人やモンゴル人やムガール人やイギリス人やロシア人などに侵略されてきた土地柄では、銃の扱いを知ることが必要不可欠だったからにすぎない。男たちは、チャイを飲んだり、煙草を吸ったり、愛する者の話をしたりするときでも、兵器を修理し、ときどきは迫撃砲を分解、加工する工作機械のまわりによく集まってきた。
 p284
 あの、アフガン戦争に赴くボンベイマフィアの男の英雄シンドロームが作られるのに、いったいどのくらいの金がかかってきたか、分かるかね?アフガン戦争は、あの男にとっては故郷の部族を救おうという個人の戦争なんだよ。彼には金などなんの意味もなかった。彼には金銭感覚がないんだ。金銭感覚こそ、文明人が共通して持っている唯一のものなのに。そうは思わないか? 金がなんの意味ももたないところに文明などない。インドに、ボンベイにあるのは、文明ではないんだよ。何千年も続いてきた英雄待望シンドロームだけなんだ。