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ガルシア・マルケス 『百年の孤独』(新潮文庫)

 数十人の登場人物が大佐アウレリャノ・ブエンディアの家族とその周辺で織りなす、いかにもスペイン語圏らしい、機械とか理性とか社会規範とかが存在しないような、世界の全部を自分の手で小麦の粉からこね出したような、親と子と男と女の愛と憎しみの物語である。
 ガルシア・マルケスは、この世にはありえない不思議でみだらで残酷な話を、それが架空の長編叙事詩であることを行間に語りながら、世界の根っこのほうには地上に咲き誇る合理主義とは発生の由来が異なる別の世界が並存していることを、(三日間も眠り続けた後、目をさますと十六個の生卵を飲み、昼飯に仔豚半分をたいらげ、放屁で花を枯らしてしまうような・p115)大ボラをふきながらルポルタージュする。読み手の内臓をねじり上げるような恋や憎しみの心理分析はまったく行わずに、ブエンディア一族5代の歴史を旧約聖書預言者のように大声で語る。わたしたちが子供のとき父親から聞いた、時代も場所もはっきりしないのに話だけはいつまでも続いた英雄譚(そこに色恋は出てこなかったが)を千倍も不思議にしたお伽噺といえなくもない。
 百年の孤独とは百年にわたって引き継がれる世襲財産的な思い出のことをいうのだろう。5代にわたっても人の孤独はその人だけのもの。親でも子でも、夫でも妻でも互いに指一本触れることさえできない。愛は愛として存在するだろうが、愛する者の愛と愛されるものの愛はまったく別のもの。戦争が起き、銃殺隊の前に立ったとき、当代のその男はライフルの前で、自分以外のことは何ごとを考えられよう。

 物語の重要な語り部の一人は、かつては彼アウレリャノ・ブエンディア大佐の苦しい恋の聞き手だったこともある寡婦・レベーカである。薄暗い屋敷の中の孤独な寡婦は、まるで過去の亡霊のように見える。灰となった心を袖の長い黒地の服に包んだ彼女は、夫を死なせたペルーとの戦争のこともほとんど知らなかった。戦争は族長たちのほとんど私怨の戦いだったから、女たちには知る必要がなかったのだ。アウレリャノ・ブエンディア大佐は、彼女の骨から発する燐火が皮膚を透かしてほの見えるかのような気がしていたという。
 アウレリャノ・ブエンディア大佐はレベーカに、厳しい喪をやわらげ、家の中に風をとおし、夫ホセ・アルカディオの死にたいする世間の罪を許すよう忠告した。しかし、すでにレベーカはそうしたむなしい事柄を超越していた。レベーカはコロンビアの土の味わいの中に、胸を躍らせたこともある昔の男ピエトロ・クレスピの手紙の中に、夫との嵐のようなベッドの秘め事に求めて得られなかった心の安らぎを見出していたのである。
 コロンビアでは、カトリックは宗教ではなく、ただ葬式の手順であるに過ぎない。ひとびとはカトリックと生とのかかわりを理解できず、もっぱら死とのかかわりに目を向けている。かれらは生々しく茂りあう思い出にからみつかれており、ややこしい教義などは理解できない。「理解」などということは罰当たりな行為なのである。

 ブエンディア家では兄弟が同じ女を愛しそれぞれの子供を産ませる。生まれた子供アウレリャノ・ホセは父親たちの末妹の叔母に育てられるが、成人するとその叔母の蚊帳にもぐりこむようになり、二人は悪い夢に深入りする・・・ブエンディア一族は全員がそのような「西洋人から見れば」救われない習俗の中に生きている。

 物語の舞台は「血統のよい雄鶏のそばに雌鳥を放すように、軍人たちに寝所に娘たちを送り込む」ことを習慣としているような世界である。軍事教練が始まったためアウレリャノ・ホセは仕方なく土曜日ごとに娼館に出かけ、萎えた花のようなにおいのする女たちによって孤独をなぐさめるが、その孤独は世代が何度替わっても薄らぐものではないだろう。いっぽうで女たちも、何よりも悲しく、腹立たしく、つらいものとして、匂いのきつい蛆のわいたグアバの実のような恋心を死ぬまで引きずっていく・・・そのような世界に住んでいる。
 
 保守党長期政権に対して内陸部で武装蜂起し内乱状態を起こすものの、すぐに懐柔、鎮圧されてしまう自由党出身の大臣たち。かれらはダイヤモンドや宝冠と純金の聖座とともに訪れたローマから枢機卿が訪れると、枢機卿の指輪に接吻するためにひざまずく自分たちの写真を撮らせる人間である。
 保守党政府は彼らの支持を得て、歴代の大統領が百年間は権力の座についていたことになるよう、暦さえ変えようとする・・・コロンビアはそのような、国家は元首と取り巻き数百人のもの、会社は窓ガラス一枚まで社長一族のものという国である。西欧の「時間」は少しも流れず、ただ堂々めぐりをしているだけである。

 p449-50
 ブエンディア家の巫術婆であるピラル・テルネラは若い当主・アウレリャノの髪をいじりながら彼が泣きやむのを待った。恋ゆえの涙だと打ち明けられたわけではないが、彼女は即座にそれが人間の歴史が始まったときからの最古の涙であることを見抜いた。
 ピラル・テルネラには、百年におよぶトランプ占いと人生経験のおかげで、ブエンディア家の者の心がお見通しだった。この一家の歴史は止めようのない歯車であること、軸が容赦なく徐々に摩滅していくことがなければ、永遠に回転し続ける車輪であることを知っていた。