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中井久夫 『精神科医がものを書くとき』(ちくま学芸文庫)1/2

 著者は今年2013年の文化功労者に選ばれた臨床精神科医である。「天声人語」に「知の巨人」と紹介されてあった。名前さえまったく知らなかったが、ウィキペディアを見ると 「若いころポール・ヴァレリーの研究者となるか、科学者・医者になるか迷った」とあったので、早速買ってみた。朝日の記事に紹介されてあった本で、納得したのは、この3年朝日をとり始めて初めてだ。
 中井氏が「知の巨人」であるかどうかはまだわからない。しかし長年臨床に徹して精神病が「病理論」では治せないことが骨身にしみているのだろう。同じような病態でも愁訴のしかたが大きく異なる患者個人の精神障害の観察や叙述の仕方がとても「現場的」であり、ラカンフロイトユングのように難解でないのが魅力的だ。氏の言葉の背後には各地の病棟での深い経験が感じられるので、この本は若い精神科医、特に看護師の副読本としても最適だろう。

 統合失調症問答 
 p125-32
 鬱病統合失調症を防ぐ安全装置の発動とも考えられます。友人の神田橋穣治医師によれば、鬱病で一番つらいのは、もっとも得意な能力がもっとも低下したと感じることだそうです。これを訊いてハッと思ったことは、統合失調症の発病の直前には、ふだん得意になりたいと憧れている能力が、ぐっと出てくるように感じられることです。
 つまり、鬱病には、精神の暴走のかなり手前で制動をかけ、システムの火を落とす「役割がある」とも言える。統合失調症では、この制動が働かなくて、暴走の直前に行ってしまう。そのまま行けば本人が憧れている能力を持った人間になれるような気がする・・・・・、だから統合失調症発病のへの道は誘惑的なのです。あの状態を返してくれ、治さないでくれ、治してもいいがあの状態には戻りたいという人が出てくるほどです。

 質問者  その瀬戸際にとどまって、すばらしい詩を書いたり、科学の発見をするということはありませんか。

 あると思います。実際に、そうではないかという詩人や数学者もいます。でも私は、その瀬戸際にとどまることを勧める気にはなれませんね。第一に(日常の生活をすることが)大変苦しい。それからその瀬戸際にとどまれるかどうかは、個人差があって、数時間しかとどまれない人から二、三年とどまれる人までいます。そして何より、自分で左右できません。

 質問者  統合失調症という病気は何が「失調」しているのでしょうか?

 統合失調症の患者さんの訴えを聞いていますと、いろいろなものの「徴候」がおかしい、となるようです。漁師が天候を読むとか、若い人が恋人の気持ちを察するとかも、そうした「徴候」の一つですよね。日常、自動車の運転でも、徴候を読むということが働いていますね。患者さんではそうしたすべての徴候に「狂い」が出ていると感じられるわけです。
 この機能が失調を起こしやすいのは、まず不安がある場合です。人間だれしも、不安がある場合は徴候的認識が前に出てきます。道に迷ってうろたえた場合や恋人の気持ちがわからなくなった場合は、誰だって些細な差異が重大な徴候に見えてきます。誰にも経験があるはずです。
 そこに、こうあってほしいとか、ほしくないという願望が入りますと、冷静に判断できなくなって現実離れを起こします。さらに過去の経験を参照できなくなると、その(現実離れした)徴候的認識ひとつに頼ることになり、だんだん、ごく些細な徴候を重大な事態の兆しと見ることになります。
 そうすると、些細な徴候をとらえるために意識性をあげるので不眠が起こります。不眠が起きると、意識がボーッとなり、徴候の捕捉に非常にむらが出て、不正確なものになります。こうして、徴候的認識が全面的混乱を起こし、徴候が頭の中を乱舞します。まったくでたらめな雑音(ホワイトノイズ)を意味のあるものと捉えているようなものです。
 関係妄想や妄想知覚がその結果ですね。統合失調症が対人関係の病であるというのも、対人関係は徴候の読みあいだからでしょうか。すでに幼児が母親の示す些細な徴候よって感じ、行動していますものね。
 ・・・・・・・・、しかし興味深いことに、失調しやすい前頭葉などと違って、大脳核は統合失調症にあまりやられないのですね、なぜでしょう。それは、前頭葉というところは新しいので、外界および内界の意識内容の徴候的認識・解析という複雑な任務を与えられて、ひ弱なところに無理がかかってしまっているのでは思っています。
 元来、感情や記憶の徴候的側面の認知に関係しているドーパミン系は、無髄繊維からなる二流の神経系だそうです。ドーパミン系は生命に関係する脳幹の方に降りて行っていないので、統合失調症は生命を縮めないのだろうということです。統合失調症は人間という複雑な社会的動物の社会的予後にとっては大事件だけれども、生命という、より大きなものにとってはそれほど重要な失調ではないのかもしれません。