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中井久夫 『精神科医がものを書くとき』(ちくま学芸文庫)2/2

 精神科の病気を診る3つのポイント
 p169-70
 精神健康の目安というのは、詳しく挙げていくと十いくつくらいはあるのですが、大きくは次の三つが大事です。この三つが危なくなってくると、普通の接し方では足りなくて、精神科的なテクニックが必要となってきます。

 まとめる力と広げる力
 自我の働きには、「まとめる力」と「広げる力」があります。精神統一などといいますが、統一ばかりしていたら何もなくなってしまいます。広げなければ、新しい経験が入ってきません。しかし、広げたものはまとめないと、自分というものが一つのまとまりでなくなってしまうわけです。
 こういう微妙なつり合いが人間の正気を保つために必要なことの一つです。「まとめる力」と「広げる力」の乱れは、意識障害の場合にはよく見られますし、器質性精神障害でなくても、障害がある深さに達すると見られることがあります。

 外界と内界の区別
 外界と内界の区別も、目覚めているときにの正気を保つためにはもちろん欠かせないことです。夢の中ではこの区別がごちゃごちゃになっています。しかし、目覚めているときにこれが乱れると、その人の個人的な事柄が社会性を帯びてしまう率がかなり高くなってきます。
 自分の中で起こっていることか、外で起こっていることかが分からなくなる。たとえば、幻聴というのは自分の中で起こっているものなのに、それが外で起こっていると感じて、その原因を追求すると、妄想が出現してくることになります。
 逆に、外界で起こることをすべて自分の中と結びつけて考えてしまうと、ご本人は非常に心配することにもなりますし、外界の事件一つ一つに振り回されることにもなります。この区別は意識障害の時にもあらわれます。

 世界の中心であるとともに世界の一部
 自己は世界の中心であると同時に、世界の中の一人、あるいは世界の一部であるということがすんなり受け入れられることも、そのひとの精神健康のとても重要な目安です。

 夢はどういう役をしているか
 P290−1
「眠りに入りにくい」のは、苦しいけれども眠りの障害ではいちばん軽いものです。「眠ればしめたもの」だからです。・・・・睡眠薬は害が大きいというのも一般論としては嘘です。ただし、医者が自分で処方して飲むとクセになりがちです。睡眠薬はまず自分が眠りに身をゆだねるという気持ちになっていることが必要です。「効けばよし、効かなければ明日医者に文句を言おう」と思うほうが効くのです。脳に働く薬の服用については、患者さんが、「飲んだ後は飲む前よりも楽になった」と感じるかどうかがポイントですね。楽になったと思う人は、その後も「薬に働きに賛成する」気持ちになる。そうなると、比較的少量でよく効きます。
 「夢を見たことがない」という人はたくさんいます。これは何も異常なことではありません。夢を見たと言っているものは、覚めたときに覚えている夢です。目覚めてから十数秒のあいだに夢は急速に色あせ、単純になります。
 朝目覚めたときに残っている夢は、眠っている間じゅう見ていた夢の「のこりかす」です。これが「夢がわけの分からないものである第一の理由」です。「夢という割り算で割り切れなかった余り」だと言っていいかもしれません。夢を見たことのない人は、この割り算がいつも割り切れている人でしょう。
 夜中じゅう、夢は一所懸命、作業をしています。昼間心残りのある出来事や解決できなかった問題に関して、「昼間の理屈」で解決できそうにない問題を「夜の理屈」で感情を静め、気持ちの折り合いを付けようとしているのです。
 感情が静まると、解けなく思えた問題も解ける率が多くなります。本当は解かなくてもよいこともあります。問題だと思っていた者の半分は解かなくてもよく、さらに半分は時間が解決します。「昼間の理屈」で解けなかった問題ですから、置き換えや飛躍やごまかしがあります。だから、夢は「お話変わって」とひょいひょい変わるのです。この飛躍があるほうが健康な夢です。これが夢がわけの分からない第二の理由です。
 だって、ヴィトゲンシュタインも言っていることですが、世界というのは「事実」の集合であって「物質」の集合ではないのですから。そしてその「事実」の中には、「同体積の鉄は紙より重い」という明々白々なことばかりではなく、「Aさんは私よりきれいだ、でも私のほうがボーイフレンドが多い」というようなこともありますよね。このような人間関係のことを夢に見たら、夢がわけのわからないものになって当然です。その夢の中では、私のボーイフレンドの一人がAさんとお茶を飲んでいる、という場面だってよく出てきます。そんな夢を深刻に「夢判断」することはあまり意味がありません。