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シュテファン・ツヴァイク 『昨日の世界]』(みすず書房)2/2

 p359
 第一次大戦の頃は、言葉はまだ力をもっていた。まだ言葉は、「宣伝」という組織化された虚偽によって死滅するほど酷使されてはいなかった。人々はまだ良心によって書かれた言葉を待っていた。
 ロマン・ロランの『戦いを超えて』のような小さな論文、バルビュスの『砲火』のような一篇の小説が多くに人に迎えられた。・・・・中立国ベルギーへのヒトラーの侵入のような卑劣なことは、今日ではもはや真面目に非難されないが、当時はまだ世界を隅から隅まで興奮させたのであった。
 p381
 第一次大戦の当時、あらゆる交戦国にはひとつの――第二次大戦では考えられなかったような――「文化宣伝」という、効果のある戦略手段が存在した。当時においては、国々の皇帝や国王は、意識の閾下においてまだ戦争を恥じていた。だからどの国も、軍国主義的である、という非難を抽象論だとして斥けた。反対にどの国も、自分が文化国家であることを誇示し、証明しようと競っていた。詩人や作家、画家だけでなく、ドイツ=オーストリアが世界的名声をもつフィルハーモニーをスイス、オランダ、スウェーデンなどに派遣したのは、これらの芸術的な要素がまだ尊敬されるひとつの力とされていた時代だったからである。

 第一次大戦と第二次大戦の間
 p441
 ドイツ=オーストリア国民の内面に、敗戦は巨大な崩壊をもたらした。軍隊とともに何ものかが破壊された。それは権威の無謬というものに対する信仰だった。「最後の一兵一馬の生きるかぎり」戦うと誓いながら、夜陰にまぎれて国境を逃れた皇帝によって、あの将帥・政治家たちによって、破滅的なモラルハザードが起きたのだった。
 ・・・・新しい世代はもはや両親も、政治家も、教師も信じなくなった。万事荒々しい誇張をもって、古い慣習に背を向け、未来の運命を自ら手中にしようとした。娘たちは男の子と区別できぬくらい髪を短く切った。若い男たちは女性的に見えるために髯を剃った。男女とも、同性愛が、「正常な愛の形式」に対する抗議として大流行した。
 芸術ももちろんそれに倣った。レンブラントホルベイン、ベラスケスは時代遅れとされ、キュービズムシュールレアリズムの運動が始まった。
 p446
 第一次大戦後の数年間は熱狂した恍惚とはったりの時代であり、極端で放縦なあらゆるものが黄金時代を体験した。接神論、心霊術、催眠術、手相学、ヨーガ、麻薬、モルヒネ、コカイン、ヘロインが大きな売れ行きを示した。舞台では近親相姦と父親殺しが、政治ではコミュニズムファシズムが唯一の望ましい主題となった。
 そして、われわれ中年の者たちは、世界の新しい危険な政治化に対して、国家を超えた組織を作って対抗するという点で、あらためてわれわれの無能ぶりを証明した。
 p533-4
 ドイツを崩壊させたヒトラーが、上昇過程においてもなぜあれほど過小評価され、冷笑されていたか。外国人には理解が難しいかもしれない。ドイツはつねに階級国家であったばかりでなく、そのうえになお、大衆は「教養」というものを動かしがたく神聖視していたからである。
 イギリスではロイド・ジョージが、イタリアではムッソリーニが、真に民衆から出て最高の政治家にまで上っていったが、ドイツでは大学出でない男がビスマルクの地位につくことは考えられないことであった。上流階層も民衆もヒトラーのうちにビアホールでの扇動者だけを見たのであって、大衆の大多数は自分とヒトラーが共有する「文化に対する不快感」に気づいていなかったのである。