アクセス数:アクセスカウンター

加賀乙彦 『湿原』(岩波現代文庫)

 江藤淳は1970〜80年頃、加賀乙彦の一連の作品をフォニー(贋作=通俗作品)と酷評したそうだ。『湿原』は上下巻合わせて1300ページになろうとする「大作」だが、通俗作品とはこういう小説を言うのだと例示できるような、みごとな愚作である。上巻の半分だけで気分が悪くなって読むのをやめた。
 当時、江藤淳平岡篤頼という早稲田の教授との間で「何を以って通俗とするか」という論争があったらしいが、それはともかくとして、ここでは本書上巻の半分までにあった「読者をナメきったような」、加賀乙彦のいい加減な文章を一つ二つだけあげておく。

 「前科者」の雪森厚夫と大学紛争当時の東大法学部教授の娘・池端和香子が『湿原』の主人公である。池端和香子は心に「病気」を持っている。紛争の混乱の時代、二人はスケート場で出会い、雪森厚夫は自分の前科がばれるのを恐れつつも、彼女に恋心を抱く。池端和香子は大学闘争の有効性を疑っているのだが、東大という「権力の象徴」が自分たちによって崩壊するのではないかという子供じみた快感にも誘われて、安田講堂に出入りする・・・・。
 このような状況と主人公の行動は、当時の私たちがみんなそうだったのだから、別に気にならないのだが、次に続く彼女の心の病気の発症についての、加賀乙彦のあまりに陳腐な解説にあきれ果ててしまった。加賀乙彦は東大を出た臨床精神科医でもあるはずである。
 p228
 「池端和香子は、東大時計台に籠城している(男友達の)守屋と、時計台を機動隊に攻撃させた教授たちの一人である父とを同時に思った。・・・・父と守屋と和香子は、はじめは、どこにでもある教授と学生とその恋人の、平和で和やかな関係だった。・・・・・それが、大学紛争がおこり、守屋は反教授派の闘士となって父と対立し、教授室を封鎖したり、研究室を占領したりしたため退学処分となり、家への出入りも禁止されそのころから二人が会うことも禁止された。
 「父のそんな態度は、守屋と和香子の個人同士の自由な交際を、教授と退学学生という公的な関係によって侵害することであり、和香子は絶対に許せなかった。だから和香子は家を飛び出して、守屋の下宿に転がり込んだのだった。
 「和香子の母親はおよそ家事のできない人だった。守屋の下宿から何日かぶりに家に帰ってみると、台所の流しは汚れた食器の山だった。それを和香子が片づけていると、母は帰ってきた和香子を見て喜ぶどころか、食器洗いを自分の怠慢へのあてつけととり、何日も家を留守にしてそれがちゃんとした家の娘のすることかと語気荒くなじる始末だった。母と和香子が野良犬のように吠えかわすところに父が帰り、母娘の口げんか・食事の未支度・家人の家長に対する尊敬の欠如のすべてに立腹し、結局のところ和香子が守屋などという過激派の劣等生の影響で両親をないがしろにしたのがすべての元だと怒鳴りだしたのだった。それが発端だった――“病気”の、和香子の内側の何かの爆発の・・・・。」

 大学紛争は1960年代末のことだが、『湿原』が刊行されたのは1985年である。1985年において、精神の統合失調がこのような、腐った卵を食べて下痢をしたというような、単純な原因によって引き起こされる「病気」であると精神科医が書くなら、その人は医師として二流以下であるか勉強を全く怠けていたかどちらかである。
 1985年ころには、統合失調症が普通に考えられている意味での「病気」ではないことは、精神医学会の常識だったはずである。そのことを、木村敏はまさに1985年発行の『異常の構造』で述べている。いわく、

 <ふつう、「病気」の概念は「健康」の対概念として、「常態からの逸脱」を意味している。ところが分裂病者の場合、彼の「常態」とはいったい何を指しているのだろうか。多くの証言があるように、分裂病が幼児期の家族関係の中から発生してくるものであるならば、分裂病者はまさに分裂病者であること以外に彼の「常態」を持たないのではあるまいか。・・・・・・・・、しかしそうはいっても、分裂病者であることはやはり不幸なこと、気の毒な状態であることに変わりはない。そしてまたそうはいっても、この不幸とか気の毒とかいう発想自体が、結局は私たちの常識的日常性の立場から、つまり正常であることを好ましいとし、異常であることを好ましくないとする発想であることにも変わりはない。>

 「健常な精神を持つ」作者によって、『湿原』はこのあと、「不幸」な和香子と「前科者」の厚夫が新幹線爆破の嫌疑をうけて逮捕され、裁かれ、TVドラマ向きのハラハラドキドキ場面を展開させていくことになる。木村敏の言う「常態」と「逸脱」の違いの微妙さなどには目もくれずに、「小説とはスジの面白さである」とする読者のために突っ走る。
 精神科医でもあり小説家でもあることの危うさを、加賀乙彦はどれだけ自覚しているのだろう。「守屋と和香子の個人同士の自由な交際を、教授と退学学生という公的な関係によって侵害する」といった学生アジビラのような紋切り型文章が、精神の「常態」と「逸脱」というきわめてデリケートな問題を、鼻歌交じりに盲腸の手術でもするように扱っていることには全く気づかない鈍感さである。
 作家が作品の太いプロットにおいて、ある事件AとBがおきて、それが原因となってCという結末がもたらされる・・・・・、つまりA+BとCの間には因果関係が明白であるとしている場合、その作品は通俗であると判定して間違いはない。謹厳な法学部教授である高圧的な父(A)と家事のできない神経症的な母(B)の下で和香子は“発病”(C)せざるを得ない、というのはまさにこの図式である。この図式はよく「ペニー・ガム」方式と揶揄される。ペニー硬貨(=原因)を自販機に入れたら、必ずガム(=結果)が出てくるような、お手軽因果論の蔑称である。いまどきこんなA+B=Cを疑わない精神科医は、うつ病の患者が来たら、10分の面接もせずに大量の薬物を処方し、患者を薬漬けにするような医者である。
 一般の患者は、精神科医の説明する(水素と酸素が化合すれば必ず水ができるというような)因果論を論破できない。そんな精神科医の書く小説に出てくる「病気の原因」は、一般の読者に丸呑みされるだろう。作家の言うことが丸呑みできるような小説は、一般に「わかりやすい」として、出版社の販売部には歓迎される。
 江藤淳が、加賀乙彦は通俗作家であるというのは、多分言いがかりではなかっただろう。この作品が比較的大きな文芸賞である大佛次郎賞を受けたとは、わが国の文壇がムラ社会としてまだまだ健在であることのゆるがぬ証拠である。