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河合隼雄 『影の現象学』(講談社学術文庫)1/2

 よほどの単層的な人を除いて、人はみな影の部分を持っている。正と邪、表と裏、白と黒、建前と本性、面と腹・・・・、これらの対語の後半にくる単語はすべてその人や集団の影の部分を指している。
 p48
 しかしわれわれ人間は、自分が影を持っていることを認めることをできるだけ避けようとする。その時もっともよく用いられるのが、自分の影を誰かか何かに投げかけようとする「投影」という方策である。カウンセリングにくる人の中には、自分の影を認めたくないために、カウンセラーの前で自分の周囲にいる「虫の好かない」だれかをひたすら攻撃することがよくある。
 この「投影」はひじょうによく用いられるが、これが集団でおこなわれるときには、その成員は自分たちの影を自覚することが難しくなる。集団の成員がすべて同一方向、それも日の当たる場所に向かおうとするとき、自分たちの背後にあろ大きな影にだれも気付かないのは当然である。その集団が同一方向に「一丸となって」行動してゆくとき、ふと背後を振り向いて、自分たちの影の存在に気づいたものは、集団の圧力のもとに直ちに抹殺されるだろう。その人間ほど集団の存続にとって危険なものはないからである。
 「絆」や「こころを一つに」というのは、3.11の後、「一丸となって」行動している人々・メディアの大音量スローガンである。このスローガンの「影」にあるものに言及することは、心優しい全体主義国家では誰にも許されていない。
 影の力がだんだんと強くなり、集団の成員内の無意識内で動き始めると、その人は意識的には集団のために努力を重ねながら、心の中で言い難い不安を感じたり、日常の仕事に対する熱意が何となく薄らいでゆくのを感じたりする。そのうちに、影は、成員内の少数の人の表層意識に侵入しはじめる。そういう、集団の「影」を目に見える形で背負うことを余儀なくされる人は、どのような人か、強い人か弱い人かは、容易に断定しがたい。
 しかしながら、ともかく結果としてそのひとは、予言者、詩人、神経症、精神病、犯罪者になるか、あるいは一挙に「影の具現者」にのぼりつめて政治集団、宗教集団の独裁者となるか、何らかに異常性を強いられる。ユングによれば、ドイツにおけるナチスの台頭はこのような見方でのみ説明できることであった。