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内田 樹 「知に働けば蔵が建つ」(文春文庫)1/2

 ニートの世界は「意味のあること」に満たされていなければならない
 p31-2 
 「勉強も仕事も、なんか、やることの意味がよくわからない」と、ニーとは言う。問題は「意味」なのである。
 「意味が分からないことはやらない」――これが私たちの時代の「合理的に思考する人」の病像である。ということは、ニートというのは、多くの人が考えているのとは逆に「(あまりに)合理的に思考する人たち」なのである。
 しかし彼らは、彼らの「合理的思考」は、現に彼らの親たちの「対価以上の扶養労働」や、彼らには非合理に見える「有責感」に依拠してはじめて彼らの生活が成り立っているという事実を勘定に入れていない。要するに他者からの贈与は受け入れるが、他者への贈与は拒否するのである。やらずぶったくりである。

 個人情報保護
 p43-5 
 個人情報保護法の施行によって、本学(神戸女学院)からも「学生名簿」というものがなくなった。ゼミの学生についても、氏名以外の情報を、本人が紹介してくれるまではわたしは知ることができない。
 困ったものである。「個人情報の保護」というとき、いったい「何から」保護しているのか、ということが大抵の場合言い落とされている。犯罪者や覗き屋から保護するのであれば、異論のある人はいまい。けれども、今進められている個人情報保護は、現に私たちが属している共同体の他のメンバーから、私の個人情報を保護することにむしろ力点が置かれている。いいかえれば、共同体の他のメンバーは私にとって「潜在的な敵」であるということを、この法律は含意していることになる。
 こんなことがいつから「常識」になったのだろう。けれども、個人と学校や自分の会社など大小さまざまな共同体を敵対関係としてとらえる考え方は、それらの共同体が緩衝地帯としての意味をなくし、個人と大きな社会がダイレクトに向き合う「リスク社会」に固有のものである。万人にとって自然なものではないこの考え方は、きわめて最近になって定着してきたものである。

 希望格差社会
 p51-6 
 未婚成人(過半はパラサイトシングルと呼ばれる人)は1200万人、離婚数は年間29万組(結婚75万組の40%)、できちゃった婚は15万組、引きこもる人は推定50万人、将来自分の生活はよくなると考えている若者(25―34歳)は15%・・・・・、どうしてこんなことになったのか。『希望格差社会』を書いた山田昌弘は、その理由を「リスク社会」の出現にあるとする。
 端的な(実もフタもない)例をあげると強者同士の結婚と、弱者同士の結婚ということがある。どういうことかというと、高度専門職についている「強者」の男女が結婚して、もし「愛」が続くと仮定すれば、いっそう豪奢な生活を享受できることは十分予測できる。しかしその一方で、不定就労者の同士のカップルは「できちゃった婚」で子供が生まれて、もし「愛」が続くと仮定しても、いっそう困窮化するという二極化が進むのだ。
 ・・・・この事態は、戦後日本がひたすら「緩衝地帯」としての中間的なセーフティネットを破壊してきたことの自明の帰結である。都市化と近代化でまず地域共同体と血縁集団が破壊された。企業・官庁の終身雇用と年功序列が「日本的悪」になり、代わりに「能力主義」によってサラリーマン男性が「社畜化」したことで、最小の血縁集団であった核家族がゆっくりと解体していった。
 丸裸にされて、一人ひとりの個体が正味の生存能力をむき出しにせざるをえない、リアル・ファイトの闘技場に私たちは放り出されたのである。文句を言っても始まらない。「そういうのが、いい」と、みんなが言ったからそうなったのである。

 希望格差教育
 p65-6 
 現在学校教育で行われている「総合的な学習」や「体験学習」は、学力よりも創意や自発性を重視したカリキュラムである。学力には生得的・後天的なばらつきがあるが、創意や自発性はすべての子供たちに等しく分配されてるということを人々が信じたからである。
 しかし、なぜ信じたのだろう。それは、「日本人は誰でもみんな同じように日本語が使える」と信じていることに似ている。少し考えれば、そんなことありえないということに誰でも気づくはずなのに。
 教室での「勉強」以外の学習においても、意欲の高い子供と低い子供は厳然と存在する。そして、しばしば、その差は学力以上に既決的である。「努力できる」子供と「努力できない」子供の間には截然たる境界線が存在する。それは子供の自己決定できることがらとは、関係がない。「努力すること」を価値と見なす生育環境に生まれついた子供は努力し、そうでない子供は努力しない。
 学習意欲が高い家庭の子供は、そうでない家庭の子供よりも成功する可能性が高い。そしてこのフィーダバックは繰り返され、社会階層による差異としてまたたくまに拡大する。