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内田 樹 「知に働けば蔵が建つ」(文春文庫)2/2

  改憲
 p146
 私・内田は憲法九条と自衛隊の併存という「ねじれ」を、「歴史上もっともうまく機能した政治的妥協」のひとつだと考えている。
 その「ねじれ」がつづいた戦後六十年間、わが国の兵は一度も海外で人を殺傷することなく、領土が他国軍によって侵略され、国民が殺傷されるという不幸も訪れなかった。その相対的な平和状態こそがわが国戦後の驚異的な経済成長と隣国との相対的に安定した外交関係を担保してきた。私はそう理解している。
 その上で、「自衛隊憲法の不整合を解消したい」と主張する人々に訊ねたい。「自衛隊の存在と憲法が不整合であることから得られた数千億〜数兆ドルともいわれる利益(これは歴史的事実として、すでに証明されている)よりも「整合的であることから得られる利益(これは非現実にかかわるので推測で語るほかない)が大であるとする論拠を教えていただきたい。

 国益君が代
 p182 
 二○○五年、石原慎太郎東京都知事と都教育委員会は、君が代斉唱に起立しなかった教職員百八十名に戒告などの処分を下した。嘱託教員は今年度で契約を打ち切られる。
 あたりまえだが、市民社会はつねに「自分と意見の違う人」をメンバーとして含んでいる。その「自分にとっては不快な隣人」の異論を織り込んで集団の合意を形成し、その「不快な隣人」の利益を含めて全体の利益を図ることが市民の義務である。都知事も教育委員も、もちろん市民の一構成員である。
 国旗国家に敬意を払うことを拒否する市民をなおフルメンバーの市民として受け入れ、その異論に丁寧に耳を傾ける成熟した市民社会だけが、メンバー全員から信認を得ることができる。そのようにして異論に耐えて信認された「統合の象徴」だけが、メンバーから自然な敬意を受けることができる。
 自分に敬意を払わない人間を処罰する人間(国家)は、なぜ敬意を払われないかについて考えることを拒絶した人間(国家)である。ふつう、そのような人間(国家)に敬意を払う人はいない。
 今回の東京都教育委員会の行った処分によって、世界全体で「日本が嫌いになった」人間と「日本が好きになった」人間のどちらが多いかは、問うでもないだろう。蛇足だが、私・内田は君が代斉唱に起立する人間である。 

 儒教圏ブロック
 p221 
 欧米人の中には、中国(C)と日本(J)と統一朝鮮(K)が、ヨーロッパでのEUのように、数十年のうちに「儒教圏ブロック」として統合されると見る学者がかなりいる。「共通する儒教的伝統の下で、CJKは他のブロックのどこよりも働くことに夢中である。CJKの人々は地域的、宗教的、歴史的、人種的といった、ブロックが円滑に機能するのに必要な多くの特質を共有している。
 CJKによる友好的な「儒教圏ブロック」の成立は、アメリカ国務省が想像しうる最悪のシナリオである。私がアメリカの小役人なら、、JKが口をそろえて、「どうも長々お世話になりました。あとはうちらでなんとかしますから、もう出て行ってくださって結構です」と言う日が来ないことを、毎日神に祈るだろう。(儒教圏ブロックと他のブロックが今後どうなるかは、ジョージ・オーウェル1984年』に楽しく書かれている。)

 
 それにしても内田さん、上のお説とは全く関係ない話で恐縮ですが、この文庫本のタイトル『知に働けば蔵が建つ』とはどういう意味なのですか? 文春が勝手につけた、『草枕』冒頭の単なるもじりですか?それにしても「蔵が建つ」というのは、(普通に考えれば)お金がたくさん儲かるということでしょうから、愉快なタイトルではないことだけは確かでありますね。