アクセス数:アクセスカウンター

ジョージ・オーウェル 『カタロニア賛歌』(筑摩叢書)2/2

 私たちはスペイン戦争についてほとんど何も知らない。スペイン戦争とはフランコファシスト党と民主主義をまもろうとする人民戦線の内戦である、人民戦線側にはヨーロッパ各地からの著名な知識人も加わって数年間戦ったが最終的にはフランコに屈した――、というくらいの理解しか持っていない。これは、遠く離れた日本のメディアが深い興味もないままに書いた記事を丸呑みしたような、中学生並みの理解でしかない。
 p55
 世界の「心ある人々」がまだ革命というものを信じていた1939年、ジョージ・オーウェルが飛び込んだスペイン戦争勃発時には、フランコは厳密にはヒトラームッソリーニと比べるべき存在ではなかった。フランコの反乱は、貴族とカトリック教会に支持された軍隊の暴動であった。それは主として、ファシズムを押し付けるというより、スペインを封建主義(!)に戻らせようとする試みであった。だからフランコは、労働者階級だけでなく、反乱の初期にはいろんな階層の自由主義ブルジョワジーをも敵に回すことになったのだ。
 しかしこのことよりももっと重要なことがある。スペインの労働者は、イギリス人ならそうしたであろうように、「デモクラシー」の名において組織的にフランコに抵抗したのではないという事実である。彼らの抵抗にははっきりと(土民の)革命的蜂起という性質があった。それはアナーキスト的な、スペイン農民の土の情熱が騒いでいる性質を持っていた。農奴的状態にあった農民は土地を地主から力で奪い取り、多くの工場や運輸機関は労働組合が運営権を握った。教会は破壊され、僧侶は追放されるか殺された。
 p58
 その結果、蜂起した労働者や農民の残虐行為に関する驚くべき嘘が、ファシスト系の新聞によってばらまかれた。ある意味仕方のないことだったかもしれない。しかし、その宣伝によって、世界各国に存在する(オーウェルがイギリスで所属したような)少数の革命グループを除いて、全世界がスペインの革命を阻止する気になってしまった。
 とくに、ソ連が背後にいるスペイン共産党が、全力を挙げてこの革命に反対し始めた。この段階で革命を起こすことは命取りになる、いまスペインで目指すべきは労働者による支配ではなくしてブルジョワ・デモクラシーである、というのがスペイン共産党の、つまりソ連の公式テーゼとして掲げられた。
 p63−4
 アナーキスト・シンパサイザーであるオーウェルが飛び込んだスペインは、こういう世界だった。一時的にもせよファシズムによって、ブルジョワ階級と労働者階級がなんらかの形で同盟することを余儀なくされたからこそ、もともと水と油であるスターリニズム共産党と蜂起労働者・農民の同床異夢という事態が生じていただけだったのだ。人民戦線という名で呼ばれたこの同盟は、要するに敵同士の同盟である。どちらかがどちらかを併合して終わる以外になかったろう。
 スペインにおけるこの特殊事情は、反フランコ政府側の諸政党の中で、共産党極左でなく極右だった、という一事につきる。このことが世界中で莫大な誤解を生ぜしめたたった一つの理由である。

『カタロニア賛歌』において、オーウェルは「敵同士の人民戦線」とファシスト軍の戦闘をそれほどのリアリズムを以て描いていない。オーウェルの筆はスターリニズム共産党の腹黒さと恐怖政治の毒を暴露することにほとんど集中している。蜂起労働者・農民の側に立つオーウェルたちの陣営が次第に追い詰められ、共産党支配下にある自警団によって同志たちがどんどん逮捕され、「秘密収容所」に送られ始めるところで、オーウェルと妻はスペインをかろうじて脱出する。
 そしてこのスペイン戦争でのスターリニズムへの激しい憎悪が、何年か後には名作『一九八四年』を生み出す。