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ラマチャンドラン  『脳のなかの幽霊、ふたたび』(角川文庫)

 神経内科の症候群は「大量のサンプル分析」では発見できない
 p9
 神経内科の分野では、ある症候群を持つ一、二名の患者を徹底的に調べる「一例研究」というアプローチ法と、多数の患者の症例を統計的に分析するアプローチ法の間に緊張関係があります。
 私は前者の方法を普通とっています。奇妙な症例を一例だけ調べる研究は、間違った考えを招きやすいという批判がときどきありますが、それはナンセンスです。
 なぜといって、例えば失語症にしても、記憶喪失、皮質性色盲や、右脳に障害がある場合には左側の空間にあるものを全く見えないと言い張る「半側空間無視」、視力を失っているにもかかわらず彼の視野内にあるものに触れることのできる「盲視」などにしても、もともと単一の症例を詳しく研究することによって発見されたものです。その逆に、大量のサンプルを統計的に分析することで発見された症候群は、わたしの知る限りひとつもありません。

 母親を「偽物だ!」という相貌失認の患者
 p21−3
 相貌失認という、親しい人の顔を見てもその人を認識できなくなる症候群の中に、「一例研究」で発見されたカプクラ症候群という非常にまれな症状があります。私が少し前に出会った患者デイビッドは、交通事故で頭にけがをして昏睡状態に陥ったのですが、二、三週間後に昏睡から覚めたとき深刻な妄想が残りました。自分の母親を見て、「この人は私の母親にそっくりだが、母ではない。母のふりをした偽物だ」というのです。
 しかしその母親が病室に電話をしてくると、すぐに声で母だと認識できるのです。妄想は起こりません。でもその一時間後、母親が病室に見舞いに来ると、やはり「そっくりだけれども偽物だと言い張るのです。どうしてこのようなことがデイビッドに起きたのでしょう。この障害を理解するには、視覚は単純なプロセスではないということをまず知っておく必要があります。
 目の中には、上下逆さまの歪んだ小さな像しかありません。それが、網膜の光受容細胞を興奮させ、その信号が視神経を通って後頭部に送られ、三十ほどもある視覚領野で分析されます。視覚中枢が目の近くではなく後頭部の奥深くにあるのは、この三十ほどもある視覚領野の共同作業が欠かせないからなのです。
 この視覚領野のなかに扁桃体という部位があります。扁桃体は、哺乳類の情動の中心をなす部位で、ここが働くことによって今自分が見ているものの意味やや重要性が判定できます。あれは家族なのだろうか、恋人なのか、マンションの管理人の叔母さんなのか、アカの他人なのだろうか・・・・、その判定をデイビッドに告げるわけです。
 デイビッドを詳しく調べてみると、この扁桃体につながる視覚中枢の「電線」が切れてしまっていました。だから母親を見て、「この人はお母さんにそっくりだけれども、もしお母さんならなぜ自分はこの人に何も感じるものがないのだろう。いやお母さんのはずはない。他人がお母さんのふりをしているんだ」と大脳のほかの部位が「合理的」に考えてしまったのです。
 じつは聴覚にも、聴覚皮質から扁桃体にいたる経路があります。そこの「電線」は切れていなかったのでしょう。だから電話ではちゃんと母親の声を聞き分け、家族としての情動を示すことができたのです。

 赤面は人間らしさの象徴
 p150−2
 わたしたちはきわめて社会的な動物です。わたしたちは他の人たちの心も、モデルとして構築することができます。「心の理論」と呼ばれるものです。心の理論を持っているために、他者の行動とその意味を予測できます。例えば誰かに傘で突かれたとしたら、それが故意の行動で、したがって繰り返される可能性が高いのか、それとも、意識的ではなく悪気にないものなのかを判断することができます。
 心の理論をもたない生物個体は赤面することもできないでしょう。赤面は困惑を示す外的な指標です。人間だけが赤面することができるのです。赤面は、かつてダーウィンが大いに興味を持った人間特有のトピックです。それは心ならずもあらわれてしまう、社会的タブーを破ったという「しるし」なので、信頼性の「指標」として、人間のあいだに進化したのかもしれません。
 男性とつきあうときに顔を赤らめる女性は、「私はこういうふうに顔を赤らめずに、情事のことで嘘をついたり、あなたのことを裏切ったりすることはできません。だから私を通してあなたの遺伝子を広めてください」と(実質的に)言っているのです。もしこの考え方が正しければ、自閉症の子供は赤面することができないでしょう。