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小坂井敏晶 『民族という虚構』(ちくま学芸文庫)1/5

 性別・身長・教養・年齢・収入・皮膚の色・・・、
 人間だけが「範疇化」できるから差別が生まれる

 p25
 「混血」という言葉があるが、太古の昔から純粋人種などは存在しなかった。純粋人種という言葉の意味がそもそも誤解されている。
 家畜の品種と同じような意味で純粋な人間集団を作ることは、倫理的問題を棚上げすれば、不可能ではない。近親交配を繰り返して、よく似た形質の個人ばかりを集め、その集団内部で世代をつなげて行けばよい。しかしその場合に純粋というのはどの個体もよく似ているという以上の意味はなく、各個体の純粋性とは関係ない。
 たとえば縮れた金髪、厚い唇、蒙古ひだの発達した瞼、黒色の肌、緑色の虹彩、鷲鼻といった形質を同時に備えた個体ばかりがそろえば、われわれの素朴な感覚はこの集団が純粋人種だと思うだろうか。アーリア人」なる妄想を作り上げたドイツ人にしてみれば、この集団は北欧人・蒙古人・アフリカ人・ユダヤ人のキメラを数十代純粋培養した、アーリア人種を仮想敵とする恐るべき反第三帝国純粋民族であるだろう。そのキメラ純粋培養技術はドイツ人が信じたユダヤ人の世界制覇陰謀の根幹をなすものだろう。
 p33
 「ユダヤ人国家樹立に際してもっとも強い原動力となったのは、実は疑いなくヒトラーなのだ」と、あるイスラエル人歴史家が述べている。民族同一性を支える根拠は、当該集団の内在的特性にではなく、差異や範疇化を生み出す「運動」に求めるべきであるということであり、この言葉には「民族誕生」のからくりが集約されている。
 ユダヤ人を救おうと努力してきたシオニズム運動が成就する上で最大の貢献をしたのは、皮肉なことに反ユダヤ主義だった。そこには、外部がなければ内部は存在しないという、集団的同一性を根本で支える論理がある。
 p36-8
 人間は、硬貨の表が出るか裏が出るかだけで無作為に分けられた半数の被験者を「赤組」とし、残りの半数を「白組」と呼ぶだけで、各被験者は自分が属する組をひいきにする。範疇化自体が差別行動を生むという事実はすでに多くの追実験で確認され、年齢・性別・社会層・文化にかかわらず、人間の基本的な認知様式をなすことが実証されている。「赤」組は、赤組「である」だけで、「白」組を疎むのである。
 p40-4
 反ユダヤ主義は、ゲットーに閉じ込められ、伝統的文化を残していた東ヨーロッパではなく、「民族同化」の進んだ西ヨーロッパにおいても激しい形態を出現させ、住民に熱狂的に支持された。
 フランスでいま厳しい人種差別にさらされているのはアルジェリア、モロッコチュニジアからなるマグレブ北アフリカ)出身者である。マグレブ出身者は、言語やフランス文化への同化度や身体的に見てもフランス人と見分けがつきにくいにもかかわらずである。
 在日朝鮮人問題にしても、言語をはじめとする文化の面においても、また身体的にも朝鮮人ほど日本人に近い人はいない。在日朝鮮人のほとんどは日本に生まれ育った世代であり、「外国人」として生きることを余儀なくされながらも、その多くは日本語しか話せない。しかしながら差別はなくならない。
 差別が客観的な差異の問題でないことは、部落差別にいちばんよくあらわれている。いかなる文化的・身体的基準によっても判別できない人々を、その「家系」を探ることにより執拗に「異質」性を捏造する。なんらかの異質性が初めにあるのではない。境界が曖昧になればなるほど、人間の「本能」にほとんど作り付けになった範疇化・差異化ベクトルがより強く働くのである。