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小坂井敏晶 『民族という虚構』(ちくま学芸文庫)4/5

 近代人は、合理的人間なのではなく、「合理化する人間」と考えたほうがいい
 p132
 心理学実験を行う研究者は、被験者に必ず「嫌ならいいですよ、強制する気はありません」と断わる。しかしその実験が、(たとえば焼いたバッタが美味かどうかというような)被験者の気持ちを逆なでする内容を含んでいても、研究者の要請を拒否する人は非常に少ない。しかも自立した個人主義者と自覚している人ほどこの傾向が強い。
 他人の意見に流されず自分で考えて判断・行動し、自ら責任を持つ、そんな自立的自我像が近代では理想になっているが、そんな合理的な自己像を保とうとする個人主義者こそ、「強制する気はありません」の一言に捕縛されやすい。しかしこの実験の場合、個人主義的とは、<実験の存在自体や報酬、社会への役立ち>という外部情報に依存していながら、それに無自覚だという意味に過ぎない。
 本当は自由の身でないのに自由だという幻想をいだくときにこそ、われわれは権力の虜になるのだ。西洋社会に顕著な個人主義的人間観が日本で普及しても、そこから自律的な人間存在が生み出されるわけではない。人は誰でも簡単に他者に影響されるというデータそのものが、まさに「本物の」個人主義者であるはずの西洋人を被験者として得られたものである。
 p135
 人間は合理的動物ではなく、合理化する動物なのである。この自己を欺く機構がうまく機能するおかげでわれわれの生は可能になっている。自ら変化を選ぶというのは、大抵の場合、錯覚に過ぎない。しかしこの錯覚がなければ、われわれはそもそも生きられないのである。
 p207-8
 近代政治哲学は、神という虚構に頼ることなく、社会秩序を合理的に根拠づけようとした。しかし虚構を完全に排除すると、各個人の生命・財産をお互いの横暴から守り、平和共存を図るための唯一可能な手段として、警察権力をはじめとする、あからさまな暴力しか残らない。
無理に言うことを聞かせる権力としてではなく、自ら従う気持ちを起こさせる権威の形をとってこそ、社会規範は成立する。虚構の物語を払拭し、意識化された合理的関係にすべてを置き換えるのは所詮無理なのである。

 
 日本のTVCMには、
 人口比にすれば400倍以上の頻度で西洋人が登場する

 p251-2
 日本人は西洋文化の影響を強く受けながらも、日本人の同一性や「特殊性」を信じてきた。日本人論に繰り返し現れる「日本人は特殊な民族である」という排他的世界観と、日本文化が外来要素を容易に受容する傾向とがどうして共存できるのか。
 テレビCMにおける西洋人の登場率を調べると、5本に1本ぐらいの割合で西洋人がCMに登場する。商品名にいたっては約3分の2はカタカナ言葉である。日本に居住す西洋人の割合は日本総人口のおよそ0.05%だから、実際の居住率に比べて西洋人は400倍以上の頻度でテレビCMに登場し、商品名には約1300倍の頻度で西洋名が使用されている。西洋人との直接的触れ合いが少ないのに、まったく対照的にイメージの世界では西洋要素がこれほど頻出するのはなぜなのか。
 p255-8
 西洋人との直接接触が少ない日本では、西洋文化の受容は間接受容にならざるをえないが、これが促進される要因としては次の三つが考えられる。
 第一に、外来情報が元の文脈から切り離されて入ってくるので、どのような具体的状況の中にその外来情報が位置づけられていたかが無視されやすい。したがって、孤立化された情報は、日本文化の磁場作用を受けて意味内容に変化がおきやすい。
 異文化受容を促進する第二の要因として、情報源と情報内容が分離されやすい。ある価値を受け入れる場合には、その発信源への心理的同一化を誘発することがあり、その場合には異文化受容が抑制されるが、情報源と情報内容が充分に分離されていれば、「異物」の受容は「異人」の受け入れを意味しないので、自分たちの同一性虚構が脅かされない。「和魂洋才」とは言い得て妙な表現である。
 第三には、情報源(の異人たち)と直接的に接しないので、自分たちの中心的価値には抵触しないという安心感があげられる。中心部との正面衝突を避けながら、周辺部から変化が導入されるわけであるから、集団としての同一性虚構が変質する感覚を生み出さず、受容が円滑になされる。
 ・・・・上記数行とほとんど同じことを丸山真男が『原型・古層・執拗低音』のなかで、儒教文化の受容に関する朝鮮と日本の違いに関して次のように言っている。丸山の言っていることは具体的である。
 「となりの朝鮮の場合。本家本元の中国では満州族によって明が滅ぼされ、"蛮族”が中国を統一して清になりました。清は漢文化にコンプレックスがありますから、ある意味では前王朝以上に中国の文化的伝統の学習に熱心で、儒教を振興させ科挙制度なども整備します。
 ところが李氏朝鮮に言わせると中華の伝統――堯瞬の道の光輝ある伝統は清以後は明らかに自分のほうに移ったということになるのです。つまりありていに言えば、過去自分がとなりの文化圏に呑み込まれたことを「無意識の中でも」忘れてしまって、自分たちは過去代々東アジア儒教文化圏の主要メンバーであったのだと主張するのです。」
 「・・・高度文明の受容に関して、中華帝国と陸続きの朝鮮は洪水型であり、東シナ海を隔てた日本は雨漏り型といえるのではないか。洪水型は、高度文明の圧力に壁を流されて同じ文化圏に身も心も入ってしまう。ところが日本はポツポツ天井から雨漏りがしてくる程度なので、併呑もされず、かといって無縁にもならない。たとえば律令制度は「基本制度」として受け入れても、やがてこれに「自主的」に対応し、改造措置を講じる余裕を持つことができる。」

 p278
 影響とは他者から一方的に被るようなものではない。他者はいわば化学反応における触媒のような役割を果たす。この触媒に触発されて、人は自らを変革するのだと言ってもいい。
 双手を打ち合わせて聞える音が左手から出るわけでも、また右手から出るわけでもないように、変化の源は情報の「送り手」にもまた「受け手」にも存在しない。まさしく、その<間>すなわち関係から変化が生成されてくる。民族問題の「多数派」と「少数派」についても、どちらかがもう一方の価値に同化するという静的なイメージで捉えるのではなく、社会や文化は両者の力動的な「相互関係」が創りあげていくものであると理解しなければならない。