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養老孟司 『解剖学教室へようこそ』(ちくま文庫)

 高校生向きに書かれたという解剖学の小論。しかし、独特の論理的飛躍がある養老さんの文章は――それは、あえて言えば禅坊主の公案にさえ似ているところがある。順接の接続語が逆接の意味になっていることもある。何冊か読んで養老さんのクセに慣れないと????となることがある―――大半の高校生にはとても難しかったろう。とびぬけた生徒以外には判じ物に近かったに違いない。

 「言語の違いと世界理解の違い」について
 p113−6
 その人の世界理解は、もちろん言葉で表される(ことが音楽家や画家以外には一般的である)。ではそのひとの「言葉」はいくつの単位でできているか。英語話者ならアルファベットの26単位。これが中国語話者なら漢字だから数万。
 英語話者はたった26個の「決まった単位だけ」の言葉で世界を表現することができる。中国語のように数万〜数十万個もの単位があるわけではない。
 ただし英語で「犬」を表そうと思ったらDとOとGを正しい順序に並べてやる必要がある。まちがってG、O、Dの順に並べたら大変なことになる。つまりアルファベットという単位は、DOGという「単語」よりも一つ下の階層にある。
 漢字ではこういうことが起こらない。「犬」の下に、その字の構成要素である「一」や「人」や「´」という下の階層があるわけではない。「犬」はいきなり「犬」なのである。そして世界の物事や現象はそれこそ無限にあるから、それらを一文字か二文字で表そうとして、あれだけの漢字を作ったのである。中国人は世界の物事や現象が「ある単位」の集合したものとは考えなかったのである。
 世界の物事や現象が無限にあるのは英語話者にとっても中国人にとっても同じである。しかし西洋人にとっては言葉の基本単位は26個しかない。人間は言葉でしか考えられないのだから、西洋にとっては世界そのものが、下の階層に決まった種類数の「単位」を持っていて、その単位の順列組合せですべてが決定されると考えたのも無理はない。
 人体は細胞からできている。細胞は分子からできている。その分子は原子から、その原子は素粒子から・・・・・、こうして各段階はそれぞれ「より一つ下の階層」の単位をきちんと正しくならべたものからできている。それは、アルファベットから単語ができ、単語をきちんと正しくならべると文章ができ、文章をきちんと正しくならべると世界を記述できるのと同じことなのである。・・・・・・・・アラブ世界も含めて、西洋人は、この何千年もそう考えてきた。還元論に行き着く科学と論理学が西洋でのみ発達した理由の少なくとも半分はここにある。