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コンラート・ローレンツ 『ソロモンの指輪』(ハヤカワ文庫NF)

 いろいろな動物たちと自由に話ができたというノーベル賞受賞者コンラート・ローレンツの最初の著作。その後に、もう30年も前だったろうか、彼の書いた動物行動学の古典『攻撃――悪の自然史』を読んだが、その内容にひどく衝撃を受けた記憶がある。十分に若かった私は、多くの野生動物の獣性を知り尽くしながら彼らと「胸襟を開いて話ができる」ローレンツの、世界を見る複眼の力に驚いたものだ。
 たしか「個人的友情をむすぶ能力があって、しかも攻撃性をもたないという動物は、まだひとつも知られていない」という文章があった。この本によって私は、個人的友情(人としての善)と他者への攻撃(人としての悪)は、ひとりの人間の中の随伴現象であることを、身体の奥深くに刻まれてしまった。
 古代ユダヤの名君・ソロモンは魔法の指輪をはめると獣や魚、鳥たちと自由に語り合うことができたという。この本のタイトルはこの旧約聖書の逸話からひかれている。しかし著者ローレンツはそんな魔法の指輪をはめなくても、ハイイロガンやコクマルガラス、フクロウ、インコ、犬たちと自由にコミュニケーションをとることができた。コンラートは、カラスを自分の肩に乗せて、目やになどを取らせても鋭いくちばしに目をつつかれる恐怖はまったく感じなかっという。それほどにコンラートは、熟練した臨床精神科医がキュア(積極治療行為)よりもケア(看護医療行為)が必要な自分の患者に丁寧に接するように、動物の一個体ごとに接していたのだといえる。
 そういう意味でこの本は、翻訳者日高敏隆が言うように、
(p294)「動物たちの行動を知るうえで絶対に欠かせないものである。ここには(統計的動物行動学にはない)感激があり、感動があり、(動物という鏡にうつされた)人間の心の動きがある。」
 1950年代に書かれた本だから、ある動物の遺伝的な行動の解発因などについては、大きな誤りもたくさんあるらしい。たとえば鳥のヒナが孵化直後に示すしめす、やり直しのきかない学習「刷り込み」の研究はローレンツに負うところが大きいが、この研究にも基本的批判がなされている。たとえばカモメのヒナは、孵化直後から母鳥の赤いくちばしに本能的に反応することで給餌をされると思われてきたが、近年同じくノーベル賞学者ニコラス・ティンバーゲンは、赤い母鳥のくちばしは必ずしも必要ではなく、カモメのヒナは先端に赤い印のついた棒状のものならなんにでも反応することを実験で立証した(ラマチャンドラン『脳の中の天使』(角川書店)p298)。
 ふたたび翻訳者日高敏隆をひくが、学問の進歩とはそういうふうにジグザグに「進歩」していくのだろう。しかしこの進歩は、「世界をよりよく理解すること」とは話の次元を異にする事柄である。小林秀雄ふうに言えば「赤い母鳥のくちばしは必ずしも必要でないことは、REARITYではあろうがTRUTHとはあまり関係がない」。もっとも、「学問の進歩」自体が、TRUTHとはあまり関係がない。
 1975年、沖縄の海洋博にローレンツが来日したときローレンツは「我々は歴史に学ぶ必要があります」と当たり障りのないことを講演で述べた。ローレンツの著作の翻訳者として日高氏が「でも、歴史に学ぶことはできますか」と質問するとローレンツはこう答えたらしい。
「確かにそれは不可能かもしれません。われわれが歴史から学べるのは、われわれは歴史からは学べないということかもしれません。」