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内田樹・春日武彦 『健全なる肉体に狂気は宿る』(角川新書)2/2

 プライド・こだわり・被害者意識の三点セット
 P134−9
 春日  トンチンカンな自己主張をする人っているんですよね。うちの患者なんてもう個性の呪縛にとらわれている人ばっかり。ほかの病院からうちに回されてきたような患者さんに、「前の病院ではなんていわれたんですか?」って訊くと、「人格障害だって言われました!」って、誇らしげに言ったりするんですよ。やっぱりユニークさが勝ちだと思ってるんですね。人間失格だといわれたとは思っていないわけです(苦笑)。
 内田  人間失格!それは、若い人が多いのですか?
 春日  だいたいはそうですね。結局、多数の側に与すれば楽になるんだということがわかっても、つまんない意地張って、おかしな自己主張して、それで自分で疲れちゃうんですよ。その悪循環から抜け出せなくなっている。自分で何やってんだかって。だから、そういう人には「何をやりたいの?」って訊いても、あまり具体的な話は出てこない。ただ「人と違うことがやりたい」んだそうです。
 私のところに来る人はそういうパターンに陥りがちだということです。私の患者さんはだいたい、こだわりとプライドと被害者意識の三点セットの方が多いですね(苦笑)。・・・・・・・・・・・・・・。
 司会者  その三点セットの中の被害者意識ですが、どうして被害者意識を持つ人が多いのでしょう?
 内田  いきなり言うと漠然すぎるように聞こえるでしょうが、ぼくなりの独断で言わせていただければ、それは父権制イデオロギーが原因ですね。
 自分を「被害者」という立ち位置に置いて、自分の身に起こるすべてのことを「被害―加害」の因果図式で説明しようとするものをぼくはすべて「父権制イデオロギー」と呼ぶことにしています。帝国主義でも、資本主義でも、男権主義でも、「父」でも、神でも、なんでもいいんです。
 要するに、何か強いものが世界を一元的にコントロールしていて、わが身の不幸も、自己実現がうまくいかないのも、すべてはその強大な「悪」のせいである。だからこの「悪」さえ除去されれば、自分のいるべき場所を見出し、出会うべき人に出会い、潜在する才能のすべてが開花するであろう・・・・・・と、きわめてシンプルに「多罰的」に説く理説は全部「父権制イデオロギー」だと、ぼくは思っています。
 だからぼくは、もう懐かしいものになってしまいましたが、フェミニズム父権制イデオロギーだったと思っています。だってフェミニストのみなさんには、自分のいまの不幸を他人の悪意のせいにすることを怪しまないのですから。昔、フランスでもロシアでも、巨大な王朝が突然のように崩壊したとき、「ユダヤ人の見えざる世界帝国」の陰謀がそのつどヨーロッパ中を騒がせたものです。ある大きな事件にはそれと同規模の原因が必ずある・・・・・、これほど、大多数の人々をひきつける思考法はないですよね。
 実際は、自分が不幸な目にあっているのは、さまざまなファクターの複合的効果ですよね。もしそこから本当に脱したいと思っているなら、そのさまざまなファクターをひとつずつ丹念に取り除いていくしかないんです。今朝から歯が痛くて、給料前でお金がなくて、上司に怒鳴られて、彼にデートをすっぽかされて、靴のヒールが歩道の穴ぼこで汚くなって・・・・・、とかそういったことがすべて集まって、今の不幸な私を作り上げているんですよね。
 でも、わたしたちはそんな風にきちんと考えることに慣れていない。分かりやすい誰かか何かを罰するほうが、そもそも類的に、向いているんです。物事の理解力という点で言えば、人間の脳は有限ですよね。有限のシステムを使っている以上、人間の認知能力には限界があります。人間は複雑な世界を複雑なまま受け入れることは、そもそも不可能です。誰かわからない「あの加害者」が悪いんで、私は何も悪くない・・・・・、実に単純明快じゃないですか。