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養老孟司  『大言論Ⅱ』(新潮文庫)2/2

 石油が維持する世界秩序
 P179-83
 2003年のイラク戦争のとき、イラクの内政なんてアメリカには実はどうでもいいことだった。というより、もともとアメリカがどうこうするという問題ではない。とりあえず「イラクに民主主義を」と言っておけば済む、合衆国政府の本音はそうだったに違いない。サウジアラビアをはじめとする圧倒的に多数派のスンニー派諸国に囲まれたシーア派イラクの戦後民政は大丈夫か。そんなところでアメリカは長期間平和を維持できるのか。そうした意見が派兵前から多く出されたが、ブッシュは明らかに聞く耳を持たなかった。なぜならブッシュとその側近と、意見を出す側では、戦争の目的が全く違っていたからである。
 それは当時の報道を記憶していればよく分かるはずである。米軍が確実に占領したのは、バグダッドでは石油省だけだった。それとイラクの石油工業のかなめでありエクソンモービルなどのプラントが立ち並ぶキルキークの油田。それ以外の場所は市民の略奪に任された。民政なんてまさにイラク人の問題である。合衆国政府の知ったことではない。
 これだけ明瞭な事実が見えなくなったのは、「テロに対する正義の戦い」という宣伝のせいだろう。そんな報道をした人たちは、どこまで本気だったのだろうか。思えば9・11とは、なんとも「都合のいい」事件が、「都合のいい」ときに起こったものではないか。
 私はなにも意地悪にものを考えているのではない。昭和20年8月15日の直後、教師によって社会科教科書に墨を塗らされた世代にとって、宣伝とそうでないことを区別するのは死活問題だからである。
 イラクについてさらに言えば、父ブッシュの第一次湾岸戦争前、フセインがなぜクエートに侵攻したのか、日本の新聞を読んでいてもさっぱりわからなかった。日本の新聞は、フセインは悪い奴だから、以上終わり、だった。
 イラン・イラク戦争で疲弊したフセインイラクは、石油をもっと売って儲けようとしたのだが、他のアラブ諸国フセインイラクが強くなるのを嫌ったのである。とくに(国家そのものの樹立に)イギリスとアメリカが深く関わった経緯のあるクエートは、石油を売ろうとするイラクの政策に対して、増産で石油の国際価格を下げるという意地悪に打って出た。それがフセインの神経を逆なでした。フセインは直接アメリカに喧嘩を売ったわけではない。しかしやり方が無茶だったから、アメリカにいい口実を与えてしまったのだ。
 ・・・・私は政治を論じているのではない、善悪を論じているのでもない。現代世界の騒動の根源の一つは、要するに石油である。家でもビルでもコンピュータでも、それがちゃんと機能するためのエネルギーはほとんどが電力である。その電力の大半は石油を燃やして作られている。いま大停電が起きたら、新しい住宅では台所のガスさえ点火できない。・・・・・そこのところを見なければ、話の筋は何も見えてこない。