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スティーヴン・グールド 『ダーウィン以来』(ハヤカワ文庫NF)3/3

 p167・172‐3  第12章 「前適応」の問題――化石では未発達に見える器官には、太古、別の器官としての役目があった
 自然淘汰ダーウィン理論の核心である。それは、高度な適応構造の単なる一部分としての意味しか持っていないように見える諸要素を、次々と寄せ集めることによって、一連の中間段階を経て徐々に高度な適応をつくりあげていく、というものである。
 しかし、このこの理論については古くから強い疑問が出され続けてきた。それは「一連の中間段階」とはどういうものなのか、証拠化石が示されていないという疑問だった。
 さらに論理上の疑問符もつけられた。目に向かっての最初の一歩になる器官は、その所有者にとってどんな価値を持つのかという難題である。糞に擬態している昆虫は確かによくみられる。しかしわずか5%だけ糞に似ていることで、そこに何らかの利益があるのだろうかという皮肉に満ちた難問が昔から提出され続けてきた。この議論はいまもなお一定の力を持っている。
 この疑問に対して現代の進化学者が提案している一般原理は「前適応」という考え方である。「前適応」とは、5%だけ目になっていた期間は目として使われていたわけではなかった、その器官はその進化段階では別の働きを持つ器官として使われていた、という新しい考え方である。
 標準的な例を出してみる。最初の魚の化石には顎がない。後の時代の魚の化石にはもちろん顎ができている。いったいぜんたい、数本の交錯する骨からなる骨からなる顎のように手の込んだ装置が、何もないところからどうやって進化することができたのだろうか。
 この「何もないところから」というのが人を惑わせる原因となる。本当は、先祖にも骨はあったのだが、その骨たちは顎とは違う何かほかのこと、――口のすぐ背後に位置する鰓弓を支え、呼吸の役割を担うようにデザインされていて、未来において果たす機能については「何も知らなかった」のである。あとから見ると、この骨は顎になるようみごとに前適応していた。手の込んだ装置はすでに組み立てられていたが、ただそれは呼吸のために使われており、ものを食うためには使われてはいなかったのである。
 またたとえば、魚の鰭は、いったいぜんたいどうやって陸上動物の四肢となることができたのか。大半の魚の鰭は細い平行な鰭条(ひれすじ)からつくられているが、この鰭条では陸上で動物の体重を支えることはできない。けれども、淡水産底棲魚の特異な一部グループ――われわれの祖先――は、丈夫な中軸骨とほんの数本の放射状突起をもった鰭を進化させていた。それは陸上動物の脚になるようみごとに前適応していたのだが、このことは何も、将来陸に上がって歩き回ることを彼らが想定していたからではない。自分の当時の環境である水中におけるそれ自身の目的のためにだけ進化していたのである。おそらく、この中軸骨で水底を後ろに蹴って動き回るために。
 要するに、前適応の原理の主張するところは簡単である。一つの構造は形態をそれほど変えることなくその機能を根本的に変化させることができる、というものである。新しい機能が発達しつつあるときも古い機能が保持されていたということを認めるならば、この考え方は、「中間段階」が発見されないという進化学の深い谷に橋を架けることができる。
 しかし、「前適応」というすばらしいアイデアは、進化学の深い谷に橋を架けたかもしれないが、その橋は論理的には誤りのない仮説として架かっただけではないだろうか。魚の口のすぐ後ろにある骨は最初、呼吸の役割を担うようにのみデザインされていたことが証明できるのだろうか。淡水産底棲魚の特異な一部グループは丈夫な中軸骨で水底を後ろに蹴って動き回っていたことを証明できるのだろうか。