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イザベラ・バード 『イザベラ・バードの日本紀行』上巻(講談社学術文庫)1/2

 イギリス北部、スコットランドに近いヨークシャーの上流夫人が、明治10年頃の日本、それも江戸時代の匂いが濃厚に残る東日本の農山漁村を、たった一人の忠実な男性通訳兼従僕とともに踏破した旅行記である。イザベラ・バードウィキペディアによれば、当時としては珍しい女性旅行家として世界中を旅した人で、この本を書いた後1894年から1897年にかけては、4度にわたり末期の李氏朝鮮を訪れ、『朝鮮紀行』を著しているらしい。
 イザベラ・バードヴィクトリア朝のレディーらしく、当時のイギリスの世界政策の一環をなすキリスト教布教に何の疑問も抱いていない篤実な人である。だから西洋人として、「文明開化」が成ったばかりの日本に対する優越感が満ち満ちているのは仕方がない。しかし彼女は個人的にとても誠実な人柄だったのだろう。東日本の農山漁民の住まいが清潔ではないこと、衣服がみすぼらしいこと、食べ物が(西洋人の彼女には)とても不味いこと、上位者に対する庶民の態度があまりに卑屈なことなどを、見た通り、感じた通りに、不快なことは不快なこととして率直に書いている。そしてその一方で、いっさいチップ要求や「ぼったくり」をしない旅館主人のサービスや、訪ねた村々の民衆の心温まる思いやりには何度も深い感謝の気持ちを書き記しており、秋田のある素朴な宿屋に対しては、「宿泊設備は、蚤と臭気を除けば驚くほど素晴らしく、世界のどの地域に行っても、このような辺鄙なところでここと同等のものは得られない」と感嘆している。
 本書の上巻には1878年5月21日、公使ハリー・パークスのいる東京を出発してから日光、福島、新潟、山形、秋田、青森を経て、8月12日函館にいたるまでの約80日、700キロの徒歩と荷馬の背と人力車での旅の模様が書かれている。
 下巻には当時の日本人がだれもまじめに知ろうとしなかったアイヌの生活や風俗が書かれてある。ウィキペディアは、「アイヌの生活ぶりや風俗については、まだアイヌ文化の研究が本格化する前の明治時代初期の状況をつまびらかに紹介したほぼ唯一の文献である」としている。

 上巻p214−5 福島・西会津にて
 入浴と着替えの習慣
 この地方では人々は一週間に一度はお風呂に入るといいます。それはいいことに思えますが、よく聞いてみるとそうでもありません。
 お湯の温度は43度から46度の間だということで、入浴中の老人が失神することもあると聞きました。お風呂の湯は家族全員が入浴を済ませるまで取り替えません。入浴は汚れを落とすためではなく、贅沢感を楽しむためのものなのでしょうか。石鹸は使われず、体をこするのも、一般にやわらかくて清潔ではない手拭いで申し訳程度にざっとひと撫でして終わりです。
 ここでは人々は下着を付けません。めったに洗わない服はぼろぼろになるまで昼も夜も着通しです。・・・・・・髪は整髪油がついており、週に一度結いなおせばいいほうです。その結果がどれほど嘆かわしいものであるか、細かく記す必要はないでしょう。人々、とくに子供に多い皮膚病の原因は明らかにここにあるでしょう。