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イザベラ・バード 『イザベラ・バードの日本紀行』下巻(講談社学術文庫)1/3

 下巻の読みどころは当時のアイヌの記録。著者が北海道の平取(びらとり・苫小牧の東約30km)地区で実際に体験、見聞したものである。明治初期のアイヌの実生活の様子が、日本政府の意向をまったく気にしないイギリス上流女性の目線で遠慮なく描かれている。
 p78−80
 このあたりで最も大きいアイヌの集落である平取(びらとり)は森と山のあいだの非常に美しいところにあります。その下にはひどく蛇行する川が流れています。これほど孤立した場所はそうありません。わたしたちが家々の間を通っていくと、アイヌの集落独特の黄色い犬が吠え、女たちは内気そうに微笑み、男たちは先日函館で見せてくれたあの優美な挨拶をまたしてくれました。わたしたちは平取で首長の家に泊めてもらいましたが、そこではもちろん不意の客でした。それでも、首長の甥のシノンディと二人の男が出てきて私たちに挨拶をしてくれ、通訳の伊藤が馬から荷物を下ろすのをとても快く手伝ってくれました。
 ・・・・・・伊藤がわたしの簡易ベッドを据え付けるのを見て、彼らの家族の女性たちは上質の筵をかけてわたしが粗い壁に向き合って眠るのを隠してくれ、また屋根の梁にもう一枚吊して天蓋にしてくれました。居心地を快適にするために彼らがあれこれ世話を焼いてくれた手早さと生来の歓待ぶりにはとても心を奪われましたが、わたしはひとつのことに気がつきました。それは、これらの世話はすべて女性がしてくれたのですが、女性はすべて男性から命じられことしかしないということです。
 p80−84  酒にとても強いアイヌ
 この家では、蚤に食われないよう台の上に椅子を載せて食事をとりました。大きな鉄鍋が炉の黒ずんだ吊り具にかかっており、首長の正妻が野生の根菜、青豆、海藻を刻み、干し魚と鹿の肉を裂いてそれに混ぜ、稗、水、そして強い臭いのする魚油を加えて、すべてを三時間煮込んだ(西洋人のわたしにはひどい味の)「ごた混ぜ」の料理です。
  その日は九時ごろにこの煮込みができて、女性たちが木杓子で漆塗りの椀についでくれました。給仕されるのは男が先ですが、食べるのは全員同時です。そのあと彼らの災いのもとである酒が漆の椀につがれ、精巧な彫刻を施した「酒の棒」をそれぞれの椀に渡しておきます。
 この棒はたいへん重んじられています。椀が何度か内側に向かって振られ、そのあと男性のそれぞれがその棒を持って酒に浸し、火に六度、彼らの神に数度献酒します。この棒自身が彼らの神なのであり、上部には削りかけの薄く白い木片が螺旋状になっていくつもついています。
 アイヌは日本人ほど酒に弱くありません。悪い比率の物々交換で買ってくる日本酒を冷たいままで飲みますが、日本人ならバカな真似をしそうな量の三倍を飲んでもまったく平気です。

 p87−9 「改良」や「変化」ということを考えもしない
 わたしが寒さでひどく感覚の麻痺したまま蚊帳をそっと出ると、部屋には十一人ほどの人がいて、全員が例の優美な挨拶をしました。彼らは顔を洗うことはまるで知らないようでした。というのもわたしが水を頼むと、首長の甥のシノンディは漆の椀に入れてほんの少しの水を運んできてくれて、私が顔と手を洗うあいだ、それを差し出していました。洗面を礼拝だと思ったのです!
 アイヌは一日二食で、朝食は前夜の夕食と同じです。全員いっしょに食べ、わたしはご飯の残りを子供たちに分けてやりました。子供たちを眺めているのはとても面白いものです。裸で白い金属の小片を首から下げただけの三歳、四歳、五歳の子供たちは、もらったご飯を食べる前にまず親にきちんと許しを求め、そのあと両手を振りました。子供たちは従順で、すぐに言うことを聞きます。親の情愛の示し方は、関東・東北地方で私を驚かせた日本人よりもさらにあらわで、男たちでさえも自分の子供ではない子供もたいへん可愛がります。

 ・・・・・平取のアイヌの暮らしの、なんと奇妙で静かであることか!何も知らず、何も望まず、ほんの少しだけ恐れ、衣料と食料を手に入れることがまず第一の望みで、酒をふんだんに飲むことがまず第一の善であるとは!・・・・・・
 アイヌにはどの家にも低い棚があり何か珍しいものが載っていましたが、それ以外は生活に必要な最小限のものしかありません。毎年毛皮を売ったり物々交換した儲けを酒にばかり費やすようなことがなければ、暮らしを快適にするものが得られるはずなのに。
 彼らは流浪の民ではありません。逆に、自分たちの祖先が生きて死んでいった場所にしつこくしがみついています。でも住まいの周囲を耕そうとする試みほど嘆かわしいものはないと彼らは思っているかのようです。土壌は白砂と五十歩百歩で、そこに施肥もせず、米の代わりの稗、かぼちゃ、玉ねぎ、たばこを育てようとしていますが、畑はまるで十年前に耕したきりで、偶然種のまかれた穀物と野菜が雑草の中で芽を出したかのような様相を呈しています。そしてこれ以上何も育たなくなると、彼らは森をまた少しだけ開墾し、今度はそこの土地が痩せるまで作物を植えていくのです。