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イザベラ・バード 『イザベラ・バードの日本紀行』下巻(講談社学術文庫)3/3

 p102−9 変えようのないアイヌの生活
 アイヌの生活は臆病で、単調で、ものがなく、退屈で、希望がなくまったく神のいない生活です。とはいっても、他の多くの先住民のそれよりはかなりましなものではあります。それにいまさら言うまでもなく、わたしたちの国の大都会にいる何千人もの堕落した人々のそれよりも。なぜならアイヌは正直であり、人を手厚くもてなし、年長者に対して敬意に満ち、親切なのですから。
 しかし彼らの飲酒癖は大きな悪習です。彼らの飲酒は私たちのように宗教の教えと相反するものではなく、むしろ宗教の一部をなしており、だとすれば根絶するのは難しいでしょう。
 ・・・・・・彼らには歴史は何もなく、伝統はほとんどその名に値しません。文字も一千以上はありません。彼らは熊を、太陽を、月を、水や火を拝みます。それでもなお、彼らは魅力的で私たちの心をときとして奪います。黄色い肌、弱弱しいまぶた、下がり眉、平たい鼻、へこんだ胸など、総じて日本人の外見からは「退化」の印象を受けますが、これに対してアイヌには全く違った印象を受けます。アイヌの高くて広い額は知的開発という点で尋常ならぬ可能性を秘めていそうな感じがします。鼻はまっすぐで短く、口は大きくてよい形をしています。眉はたっぷりとあり、頬骨は低く、目は大きくて非常に美しく、並はずれておだやかで濃くて澄んだ茶色をしています。また日本人に見られる一重まぶたはまったくありません。アジア的というよりはヨーロッパ的な顔つきといえるでしょう。
 札幌に至る道路で数人のアイヌ女性に出会った日本人が、口々に「アイヌ女は勤勉で貞淑だがひどく醜い」と言っていました。私は意見を異にしています。勤勉で貞淑なことには異存ありませんが、醜いとされるのはきっと刺青と埃のせいなのです。アイヌは刺青をいたるところに施します。なかにはまだ乳離れしない子供にも刺青することもあります。
 今朝わたしは愛らしくて利発な少女が刺青をされるのを見ました。彼女は肌に傷をつけられるあいだ両手を固く握りしめていましたが、泣き声ひとつあげませんでした。唇をはじめ体中の刺青の模様は結婚するまで毎年幅と深さを増やしていきますが、この風習が広がった原因は誰に聞いても何も知りません。最近、日本政府は刺青を禁止したのですが、アイヌの人たちは大変な悲しみを表しました。神々が立腹するだろう、刺青がなければ女は結婚できないというのがその悲しみの理由でした。

 p114−8 衣服と住居
 アイヌの衣服は未開人にしてはことのほか上等です。冬は一枚か二枚、あるいはそれ以上の獣革のコートを着、これには同じ革のフードがついています。男たちはこれに大雑把な作りのモカシンを履いて狩りに行きます。夏場は森の木の樹皮を裂いて丈夫な繊維にし、これで作ったゆったりした上衣を着ます。色合いも様々で、どこかパナマ・キャンバスに似ています。女性の着る上衣は丈が膝とくるぶしの中間まであり、襟も首元まで締めますが非常にゆったりしています。帯は締めません。
 アイヌの女性は完全に身を覆っているばかりでなく、一人でいるときか暗がりの中でしか着替えようとしません。最近、ある町の日本人女性がアイヌの女性を自分の家に招き、お風呂をすすめたところ、衝立ですっかり浴場を囲うまで入浴しようとしませんでした。しばらくあとで日本人女性が様子を見に行くと、そのアイヌ女性は着衣のままでお湯につかっており、それは困ると苦情を言ったところ、裸でいては神々の怒りを買うと答えたそうです。
 
  ハワイの先住民の草屋に似ているアイヌの住居には、奥の方に必ず低い幅広の棚があります。この棚は海辺・山間を問わず、最も貧しい家も含めてすべてのアイヌの家の特徴で、ここには支配民族日本の骨董品が載っています。とても貴重な古美術品も多いのですが、多くは湿気と埃で損なわれています。
 わたしが泊めていただいた家には、漆塗りの壺のような、茶箱のようなスツール、多数の漆塗りの椀や盆、象眼入りの柄の付いた槍と上等な加賀や粟田の茶碗がありました。漆器は立派なもので、壺のいくつかには大名の紋が金色で入っていました。象眼の入った鎧一式と剣もありました。刃には彫刻、鞘には打ち出し加工が施され、収集家ならいくら払っても欲しがるでしょう。
 しかし彼らは何一つ売ったりしません。「私たちの先祖に優しくしてくれた人々からの贈り物だったんです。売ることはできません」と彼らっ低く歌うような声で言います。このような骨董品の中には、彼らの先祖が制圧されたとき、日本の将軍の名代や松前藩主に貢物をささげに行った時にもらったものもあるに違いありません。またなかには、明治維新の際にこちらに逃げてきた士族からもったものもあるはずです。これらの骨董品は彼らが酒を得るために物々交換しない唯一のものです。
 p126−31 アイヌの宗教
 アイヌの宗教に関する概念ほどまとまりのないものはありません。山頂にあった義経を祀った日本式建築の社は別として、彼らは寺社を持たず、司祭階級も捧げものも礼拝も制度としてはなにも持っていません。
 礼拝という言葉自体、誤解を招きます。彼らは両手を垂らして酒の入った椀を揺らして献酒を行いますが、この行為に信仰上の厄払いや祈願の意味は含まれていません。ただし、「神のために飲む」のは首長の「礼拝」行為であるとされます。それゆえに酔うことと宗教は切れ離せず、アイヌは酒を飲めば飲むほど信心深くなり、神々を喜ばせるということになります。
 アイヌの素朴な神話の変わった特徴は熊――なかでもみごとな蝦夷熊――への「崇拝」ですが、何がそうさせるのか、その気持ちの理解は不可能です。というのも、彼らは彼らの流儀で熊を崇拝しており、熊の頭を村に掲げていますが、それでいて熊を罠にかけたり、殺したり、食べたり、毛皮を売ったりしているのですから。