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スティーブン・キング 『シャイニング』(文春文庫)

 ロッキー山中にある「オーバールック」(絶景荘)という超豪奢ホテルを舞台にした、いわゆる幽霊屋敷ホラー小説。読み始めて、だいぶ前にケーブルテレビでやっていた映画の原作であることに気付いたが、こういうものは映像よりも原作のほうが格段に楽しめることが多いので、そのまま読み続けた。有名な解剖学者が自分のオススメ本リストの中で「人間が感じる恐怖のツボをこれほど押えている作品はない」とリコメンドしていたのも、読み続ける理由になった。
 オーバールックは過去100年にわたって、(ほとんど共和党出身の)合衆国大統領、大成功した実業家、有名映画スター、プロスポーツ選手、大物マフィアたち、夏の数日から数週間、秘密のプライベートスペースを提供してきた。そこには中流階級にため息をつかせるような豪華晩餐会や舞踏会や山中に鹿を追い立てるお楽しみもあったが、聞いた者の鼻が血の匂いにむせるようなマフィアや詐欺師たちの惨殺事件も、ふもとの街まで聞こえることがあった――――、オーバールックはそんな、ホラー作品好きにはおなじみの恐怖の館である。
 主人公はジャック・トランス。トランスとは、あの神がかりとか憑依とかいう意味の「トランス」である。ジャックの家系はものに取りつかれやすい、名優アンソニー・パーキンスの顔を思い浮かべればピンとくるような、とても怖い遺伝形質を持っている。ジャックの父は、勤務生活からの引退がまぢかという年になって、ある晩息子三人の目の前で、妻をステッキで打擲して重傷を負わせたような大酒のみのプロテスタント男だった。ひどい目にあった妻は表面上従順だが、夫を理解しようとは全く考えない敬虔なカトリック女だった。その父の父も、同じように、家族に突然暴力をふるう男だったらしい。ジャックはそうした自分の家系に伝わる暴力形質をとても恐れている。
 ものに取りつかれやすいということは、「なにものか」からの「超自然的」信号に敏感だということである。その性質はジャックの子供ダニエル(ダニー)・トランスにも間違いなく、それどころか何倍も強く受け渡されていた。だからジャックとダニーはお互いがなにを今思っているかについて、明瞭な言葉にはできないものの、ほぼ「感じて」しまう。いわば父と子は、自分だけの思いであるものが相手に筒抜けになってしまうのであって、このことが親子関係にとっては、強い親愛の結びつきにもなるし、ものごとがこじれれば激しい憎悪が生まれる原因にもなる。
 「なにものか」からの「超自然的」信号に鋭敏に反応する能力を、作者は「シャイニング」(かがやき)と名付けている。この作品のタイトルである。一世紀にわたる超豪奢ホテルのオモテとウラの因業の塊がジャックとダニーに乗り移り、それにいかにもアメリカ的な薄っぺらいフロイト原理主義のスパイスが強く加わって、繁栄の象徴である超豪奢ホテルを大爆発させる・・・・・・、日本のホラー作家には決して書けないスケールの作品だとはいえる。しかし、「人間が感じる恐怖のツボをこれほど押えている作品はない」という解剖学者は、たぶん忙しくていい加減なことを書いたに違いない。

 すくなくとも普通の日本人にとっては、ゾンビのような「化け物」は恐怖のツボにならない。殺意は、恐怖の原因の一つに違いないが、その「人間を殺そうとするもの」が「化け物」では、その「恐怖のツボ」に作為が匂ってしまう。西洋の物語に出てくる何度殺しても生き返る化け物は、大半がユダヤ教の黙示論的な旧約諸書に水源がある。ジャックの子供の名前ダニー(ダニエル)はもちろん『ダニエル書』から来ている。バビロン捕囚の前後につくられた、人間の悪徳による世界破滅を待ち望む神話である。そういった何千年も前の神話が、西洋の物語には何度も何度も、微妙に変奏されて語られる。まるでその神話自体がゾンビであるかのように。
 しかし私が生きるこの国では、そんな因業などは世間のどこにでも、過去何万件もあっただろうということになってしまう。この国では、「神」などはどこの家でも「へっつい」のすぐとなりにいらっしゃるのだし、先祖や父親や母親が少しくらいの悪行をしても、本人が善行を積めば、家系の昔のことはたいてい忘れて許してくれるのだから。
 何事も「忘れる」ことを美徳とする私の国にあっては、民族が背負う神話が現在の文学のプロットづくりに影響を与えるとは思えない。したがって日本の読者がそうしたプロットに心の底から震え上がるとは考えられない。