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オルテガ・イ・ガセット 『大衆の反逆』(白水社)1/2

 少なくとも書名だけは知らぬ人のない古典である。集団として現れる大衆が「少数者が作ったよき文化」を滅ぼそうとしていることを嘆いている。しかし、オルテガの恵まれた出自は措くとしても、いかにもスペイン人らしく情に訴えるような言い分にはいささか論理性を欠くところがないわけではない。いきなり書き出しから、大衆への敵意は激しい。

 p49−58
 ことの善し悪しはともかく、(第一次大戦直後の)今日、ヨーロッパ社会において重要な一つの事実がある。それは、大衆が完全な社会的権力の座にのぼったことである。
 いまや突如として、彼らは集団という種として姿をあらわし、われわれの目はいたるところに彼ら群衆の姿を見出すのだ。いやいたるところにではなく、ほかでもない、人間文化の洗練された所産として、以前はすぐれた少数者の集団のためにとっておかれた場所に、彼ら大衆の姿を見出すのである。群集は、その、社会の中で最も好ましい場所に居ついてしまった。以前は、大衆はたとえ存在していても、人に気づかれず、社会という舞台の背景にひそんでいたのだが、いまでは舞台の前面に出てきてライトを浴び、主要人物になっているのだ。もはや主役となる少数者はいない。舞台にいるのはただ合唱隊のみである。
 わたしが大衆という言葉によって「労働者大衆」を指すものだとは解さないでいただきたい。わたしがいう大衆とは「平均人」のことである。すなわち、大衆とは万人に共通する性質だけを持ち、他人と異ならず、自分のうちに普遍的な、万人平均的な性質をくりかえすタイプの人間のことである。今日のヨーロッパの特徴は、凡俗な大衆が、自分が凡俗であるのを知りながら、敢然と凡俗であることの権利を主張し、それをあらゆるところで押し通そうとするところにある。

 p93−106
 われわれの前の世紀、つまり19世紀は画期的な世紀だった。6世紀にヨーロッパの歴史が始まってから1800年まで、1200年間の長きにわたってヨーロッパに人口は1億8000万を超えることがなかった。ところが1800年から1914年までの100年少しの間に、人口は1億8000万から4億6000万へと増大したのだ。
 だから、歴史の表面に圧倒的多数の人間を解き放った名誉と責任はわれわれの前の世紀にある。19世紀には何か常ならぬ比較を絶したものがあったに違いない。
 ・・・・この新しい世界を可能にしたのは、自由主義デモクラシー、科学的実験、産業主義の三つの原理である。この三つの原理はすべて17・18世紀に由来しているのだが、しかしこの三つの原理が社会に生きる人間に恩恵としてもたらされたのは、19世紀においてである。

 簡単に言えば、19世紀はすべての人々の存在様式をひっくり返したのだ。それ以前、1800年までは、あらゆる民衆にとって、生とは何よりもまず制約、義務、隷属を意味してきた。それは法律的、社会的な意味の制約、義務、隷属だけを表すのではなく、宇宙的な意味においてそうだった。
 金持ちや権力者にとっても、世界は貧困と困難と危険の領域だった。彼を取り巻く世界はきわめて粗雑に組織されていたので、大きな災難がしばしば起こり、安全なもの、豊富なもの、安定したものが何もなかったからである。

 ところが三つの原理以後の平均人が出会う世界は、可能性に満ち、しかも安全な世界だ。そのうえこうしたものすべてが、前もって自分で努力をしなくても意のままになるように用意されているのだ。自分が呼吸する空気のために他人にお礼を言う者はいない。空気は誰かの手で作られたものではないからだ。ちょうどそのように、三つの原理以後の平均人は安全なもの、豊富なもの、安定したものを、まるでそこの太古からあった自然物のように、「あたりまえ」のものとして受け取っている。
 今の平均人の生活原理が以下のようであることももっともである。「生きるとは、なんらの制約も見出さないこと、したがってなんでも自分自身のなすがままにすること。実際、いかなることも不可能ではないし、いかなることも危険ではない。そのうえ原理的にはいかなる人間も他人より優れていないのだ。