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吉村萬壱 『ボラード病』(文芸春秋)

 ボラードとは、港の岸壁に必ずある繋船柱のこと。直径30〜50cm、大きな鋼鉄の人差し指を根元の方から地中に埋め込んだ形をしていて、地上部分の先端が少し曲がっている。もやいロープでボラードに繋げば、何万トンの巨大船でも完全に繋ぎ止めることができる。
 この小説の舞台はあの3.11の大災害があってから8年後の東北地方の海塚(うみづか)市。そこでは、ライフスタイル・ファシズムが全市民の心の中で深く進行している。このファシズムを作者は「同調」と言っている。「他と調子を合わせること。他人の主張に自分の意見を一致させること」と、辞書記載の説明を語り手の「私」に読ませている。

 被災という「ボラード」に繋がれた海塚市の市民生活において、登場人物たちの暮らしは、一例にあげた下のAからDのように、日本の「世間」を知った人には理解しやすいものである。
 A 町内から、きまった日ごとに港の清掃活動に自主参加することが求められる。町内会活動から逃れることなど、住民たちには考えられない。清掃が終わると、参加者は自分のゴミ袋を町内会役員に渡す。ゴミ袋の中身が少ないと、役員は「これだけしか集まりませんでしたか?」と言ってチェックリストに印を入れる。このチェックリストは町民の成績表なのだ。
 B 海塚市役所には「安全基準達成一番乗りの町・うみづか」の垂れ幕がいつもかかっていて、海産物産展のテントがいくつか出ている。清掃活動に参加するひとのなかには、無料バスでその場に着くと、あらかじめ買うものを決めていたかのようにテントに近づいてすぐに商品を指さす人もいた。
 C 清掃活動のあとに出された食事は「私」が苦手な海鮮丼だった。しかし海塚市民であり、海塚が安全基準達成一番乗りの町である以上、海鮮丼の刺身に手をつけないというのはあり得ない選択肢だった。「私」は精一杯の忍耐心を発揮して刺身を呑みこむが、その様子はテーブルの間を巡回する町内会役員によってしっかりチェックされていた。「海塚の海産物はどれもおいしく安全である」ことは、どんな場合にも態度で示される必要があったのに、「私」はそれができなかった。
 D 上の「C」のようなことこそ、「私」の母が恐れる事態だった。世間の目に立ち、噂をされ、後ろ指を指されることが母親には何よりも怖かった。

 「私」の母親は、日本の世間の母親のように、集団の混雑の中でごく「フツー」に暮らしたい人間だった。朝日新聞の書評にあったように、彼女は狂っているから娘の動作の一つ一つまで干渉したのではない。集団の混雑に紛れて暮らしたい彼女は、海塚のスーパーで買ってきた地物の肉や生魚や野菜は全部安全性を疑ってこっそりと捨てていた。そしてかわりに冷凍の食パンや缶詰やカップめんで「私」の食事をこしらえていた。冷凍の食パンや缶詰やカップめんの食事が成長期の身体によくないのはわかっていながら、海塚産の食品はなおのこと娘に与えたくなかった。集団に紛れて指弾されずに暮らすことと、集団への同調を嫌うことは、彼女の中で危険なバランスをとっていたのだ。朝日の書評家はどこをどう読んで「狂っている母親」と短絡した文章を書いたのだろうか。
 「私」が通う小学校では、一学期の間に何人もの児童が死ぬ。その死因について、作者はわざとのように何も書いていない。書いているのは、児童の死に対する学年主任の子供でさえしらけるような弔辞と、秋の合唱コンクールで課題曲が「海塚ワルツ」、自由曲が「明日へのスタートライン」に決まったというばかばかしい話だけである。何人もの子供の死はもちろん被曝を暗示しているのだろうが、現実の福島原発放射能汚染数値を考えれば、一学期間に何人もの子供が死ぬというのは明らかに大げさである。作者は、「世間はこのようにも自己憐憫している」ということを言いたかったのだろう。
 何万トンの巨大船でも、何千億トンの日本国土全体でも、一度繋いだら絶対に動かなくしてしまうボラードの病気に、「がんばろう日本」はがっちり固定されてしまっている。なにしろ、日本は、養老孟司さんに言わせれば、大学院生が「あなたの行動規準は一言でいうと何ですか?」と訊かれて、即座に「それは、安全です」と答えるようなボケてしまった国である。