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大嶋幸範 朝日新聞の醜聞

 今回の朝日の<従軍慰安婦 偽報道>はひどいものだ。文芸春秋10月号のどこかの記事によれば、いま朝日新聞についてはこんな狂句がついて回っているという。「アカが書き ヤクザが売って バカが読む」・・・昔からある「新聞は インテリ書いて ヤクザ売り」よりずっと秀作ではないか。わたしはバカだったのね、とは50年来、ときどき首をかしげながらも、「クオリティイペーパー」の読者であることをひそかに自負してきた妻がわたしを睨んで言ったことである。
 一方のわたしは、「モノを教えてやる」という朝日の論調を怒って大学卒業と同時に購読をやめた。従軍慰安婦なんて大昔からどこの国にもあったことだろ、『平家物語』だって、『戦争と平和』だって、西洋でもアジアでも、女がいなくちゃ男は働かないだろ。朝鮮のオモテ社会自体が、高麗時代から李朝が終わるまで一千年も、2万とも3万とも言われる公認の妓生なしでは成り立たなかったじゃないか。それが、国の大統領が20世紀後半の薄っぺらフェミニズム教育を受けた女に変わったとたんに、法体系からくだんの公娼制度まで中国の属国であることを「自慢」してきた自国の来歴を忘れたみたいに、いったいどうしたんだよと思ってきた。
 話がいきなり脱線したが、朝日の従軍慰安婦の偽報道はそもそもどうして起きたのだろう。朝日と読売は、第二次大戦中は「軍部協力二大新聞」として、購読者拡大の激しい競争をしていた。朝日も読売も「米英殲滅」を甲高い声でわめきたてていたが、それはどこの国においても戦時下としてごく普通の論調だったろう。ただ読売は米と英という漢字にわざわざ<ケモノ遍>をつけ、アメリカとイギリスの鬼畜ぶりをいかにも下品に煽っていたという。その品のなさは戦後何十年たってもそのまま生きつづけたと言っていい。20年ほど前わが家に一度だけ読売の勧誘員が来たとき、わたしが「ナベツネが下品だから読売はとらない」と答えたときの勧誘員の顔は本当にその筋の人かと思わせる雰囲気があった。でもまあ、読売のことを書いているのではなかった。

 今回の朝日の犯罪行為は、「旧日本軍は、第二次世界大戦中に8万とも20万とも言われる朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した」という嘘の情報をを世界中に流したことである。軍が出したのは日本国内での慰安婦募集についての通達文書であったにもかかわらず、そして通達が日本国内向けであることを半ば知っていたにもかかわらず、朝日新聞はその文書が専ら朝鮮人慰安婦が対象であったかのように新聞紙面を構成した。この報道がきっかけになって韓国のメディアは「奴隷狩り」、「婦女子狩り」といった激しい言葉を使って長期キャンペーンを張り、世論は当然憤激した。アメリカ下院では日本政府に謝罪を求める決議案が出され、続いてオランダ、カナダ、EU議会でも日本に謝罪を求める決議が相次いだ。このころには「偽報道」であることが明らかになっていたのに、朝日は一切取り消しをしなかった。
 朝日新聞は国家反逆罪を起こしたのである。こう言うのがいちばん直截にして明瞭である。存在しなかった「慰安婦朝鮮人女性連行事件」を、ニューヨークタイムズ記者でさえ「疑わしい」とする「吉田証言」をもとに存在したと全世界に喧伝し、30年以上も取り消さなかったというのは、国家反逆罪以外の何だろう。朝日新聞社は、一面下のコラムを「正しい日本語書き方のお手本」などとのたまうまでに増長し、有楽町に所有する自社ビルの全面広告を毎週紙面に載せて読者を辟易させ、今回は自分を疑わない「ボーイスカウト的正義ヒステリー」のなかで、売国奴に成り下がったのである。国民の名誉をはなはだしく傷つけたのだから、検察の捜査が入ってしかるべきである。この事案については、「報道の自由」などはチャンチャラおかしい。身内の恥をでっちあげる瓦版屋などに御大層な自由があるはずがない。

 以上の文章は文芸春秋10月号の平川祐弘東大名誉教授の『朝日の正義はなぜいつも軽薄なのか』と、毎日新聞2014年9月11日・12日付けを見ながら書いたものだが、12日の毎日3面にちょっと気になる数行があった。服部孝章という立教大の教授(メディア法)が、読売や産経が朝日批判を強めていることを危惧するという内容である。「報道機関が報道機関をバッシングしても何も始まらない。ただ読者の信頼を失うだけで、新聞業界にとって大きな損失になってしまう」というものだ。
 「読者の信頼を失うだけ」と言う服部教授は正しいだろうか。報道機関が報道機関をバッシングすることはなぜよくないのだろう。いまの朝日をバッシングしなければ、読者は、「新聞社どうしはかばい合うのね」という、うっすらと直感していたことの正しさを確認するだけではなかろうか。その直感を再確認することこそ「新聞業界にとって大きな損失」なのではなかろうか。もっとも、読売や産経は他人の不幸の「蜜の味」に喉を鳴らしているだけだろうし、私自身はそんな新聞「業界」など衰退してもまったくかまわないと思っている。全国どこの新聞をひらいても、国際記事や大きな災害記事の中身はほとんど変わらない。ここまでインターネットの進んだ時代、一つや二つの全国紙が沈んだって、誰も何も困らない。「新聞業界の大きな損失」を心配するのは服部教授のような業界関係者だけである。
 かの名著『アメリカの民主主義』を書いたトクヴィルも言っているではないか。「ときの民主主義政府権力にとって一番望ましいのは、新聞社の数がどんどん増えることである。なぜなら政府にとって都合のいい意見も、都合の悪い意見も、どちらもどんどん数が増えて、国民は何を参考に政府に文句を言ったらいいか分からなくなるからだ。」大メディアがいくつかなくなってときの民主主義政府権力に対する批判が少しでもわかりやすくなれば、一番困るのは権力だということだ。