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オリヴァー・サックス 『火星の人類学者』(ハヤカワ文庫NF)2/2

 本書のタイトルがとられている「火星の人類学者」とは、自閉症でありながら動物行動学を学んで博士号を取り、コロラド州立大学で教えている女性・テンプル・グランディンの話である。彼女は自閉症者として、人の心や見方に対する共感が不得意だ。しかし知能指数などはもともと高いうえ、自分が自閉症であることをよく「認識」している。だから彼女は他人の行動を、書物やそれまでの経験を「データ」に蓄積し、それに基づいて人間関係を築いていこうとする。「健常者」から見れば一風変わったとしか言いようのない努力を、自閉症の人はしなければならないのだ。
 なぜ他人との人間関係を築くのに、それまでの経験的知識をデータとして蓄積し、それを参照しながら良好な人間関係構築に努力するという面倒なことをしなければならないのか。それは、自閉症の人たちは「(ひとの心の状態を推定し、それに基づいてその人の行動を予測、解釈する)心の理論」という、「健常者」なら学齢前には自然に身につけるものを決定的に欠いているからだ。その結果、彼らは他者との社会的交流、言語や身振りによるコミュニケーション、「遊び」や「想像的」活動などをとても苦手とする。
 彼女・テンプル・グランディンは何年もかけて「膨大な経験のライブラリー」をつくりあげ、それをデータベースとして、ある状況では人がどんなふうに行動するかを予測し、必要最低限の「世間づきあい」を可能にすることで、大学教員を続けることができている。まるで火星で人類という「異種の生物」を研究している学者のようなものだ。だから自分は火星の人類学者のようなものだと彼女は言う(p373)。

 本書の二番目に紹介されている「最後のヒッピー」・グレッグの話も興味深い。グレッグは大きな脳腫瘍で時間感覚を失い、自分が育った1960年代に閉じ込められてしまっただけでなく、その人らしさを創り出すアイデンティティをすべて失ってしまった。
 p85−96
 グレッグの脳腫瘍は頭蓋内正中面と下垂体、それに続く視交叉と視索、左右の前頭様に広がる巨大なものだった。腫瘍はさらに側頭葉から間脳あるいは前脳にまで及んでいた。そのことでグレッグは盲目になっていたばかりでなく、脳神経にも精神にも重大な損傷を受けていた。
 彼の記憶について調べていたとき、わたしは彼の知識構造、アイデンティティそのものに奇妙な複雑な変化が起きているのではないかと思い始めた。彼が語る過去のできごとや想い出に時間的関連や継続性はまったくなかった。彼の意識は、過去や未来の感覚から断ち切られた「現在」というほんの一瞬に事実上限定されているらしかった。とすれば彼には、精神生活といえるほどの精神生活はないのではないかとわたしは考えた。
 人の意識や精神生活をかたちづくる、過去と現在との絶えざる対話も、経験と意味との照合も、彼にはない。彼には「この次」という概念がなかった。人生の原動力ある不安や期待、意図といった情熱や緊張もまったくなかった。
 ・・・・・・グレッグはほうっておかれれば病棟で何時間でもじっとしていた。この無気力状態は、看護婦には「考え込んでいる」と評されたが、わたしの感じでは、精神的な中身も感情作用もほとんどゼロという病的な精神的「空ぶかし」状態のようだった。これは前頭葉の眼に隣接する皮質部分の損傷患者によく見られる症状である。
 前頭葉は脳の中で最も複雑な部分で、すべての人間的判断や想像や感情を統合して「人格」とか「自我」と呼ばれる独自のアイデンティティをつくりあげる高度な働きをしている。脳のほかの部分が損なわれると、特定の運動や感覚、言葉、あるいは知覚や認識、記憶機能に障害がおこる。いっぽう、前頭葉の損傷の場合はこうした障害でなく、もっとその人の人間性というか人格全体にとても微妙で深刻な障害を起こす。
 グレッグは少年のとき何不自由のない家を出て、それ以来ヒッピーの生活を続けてそのあげく私に病院に来たのだが、長いブランクをおいてようやく再会した両親がいちばんショックを受けたのは視覚障害や身体の衰弱、あるいは記憶喪失といったことではなく、この人格の変化だった。彼は病気というだけでなく、信じられないほど人間そのものが変貌してしまっており、父親の言葉を借りれば「息子の偽物のようなやつ」にすぎなかった。もしくは昔話に出てくる取り替えっ子に身体を乗っ取られたようだった。
 前頭葉の眼に隣接する皮質部分が損なわれると、その人の節度とか思慮深さ、抑制にかかわる機構が破壊されやすい。この患者は周囲にも自分自身にも、文字通りすべてのもの、人間、言葉、感覚、考え、感情、ニュアンスや雰囲気に間髪を入れず軽薄な反応をする。とくに語呂合わせや駄洒落を連発する。グレッグもそうだった。両親が深刻な表情で面会に来たとき、看護婦が「チキンの皮を取ってあげましょうか」と言うと、「チキンの皮はきちんと食べようね」などとふざけた反応をし、「現実感」、「深み」のない人間になってしまったことを、われ知らず暴露してしまったのである。
 深い衝撃を受けた父親は「あの子はまるでロボトミーを受けたようだ」とわたしに言った。それから苦い皮肉を込めて付け加えた。「前頭葉なんて、そんなものは元々ないほうがいいかもしれませんな。」