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イザベラ・バード 『朝鮮紀行』(講談社学術文庫)1/3

 
 イザベラ・バードはイギリス北部、ヨークシャー出身の女性旅行家、紀行作家である。1878年頃には日本の関東・東北・北海道を旅して名高い『日本紀行』(講談社学術文庫上下2巻)を著した。東京から青森までの民衆の暮らしの紹介も興味深かったが、特に北海道の南部では、当時の日本人の誰も知らなかったアイヌの生活について詳細な報告をもたらし、アイヌ研究者の間でも高く評価された。(写真右の馬上の人が当時の朝鮮服を着た著者イバベラ・バード。)
 そのイザベラ・バードが、日本旅行から15、6年たった1894〜97年、つまり日清戦争前後に清を宗主国にいただく朝鮮を旅行して書き綴ったのが『朝鮮紀行』である。歴史始まって以来中華文明の豪雨にさらされ続けた朝鮮の文化のすさまじい停滞ぶりが仮借ないまでに冷静な筆致で描かれている。
 『日本紀行』にあらわれた彼女の日本観は概して好意的なものだった。世界の最先進国の上流夫人として、「文明化」したばかりの日本には当然ながら優越感を持っていたが、訪れた町や村の当時の日本一般人の物腰態度の丁寧さには、彼女個人の誠実な人柄をあらわして、いつわりのない親しみを感じていた。
 

 本書『朝鮮紀行』にはそうした読者――特に書かれる側の国の読者――を安心させる心温まる筆遣いというものがない。上は国王、上層貴族、中下級貴族から、下は一般市民、被差別階級まで、イザベラ・バードは朝鮮というものにほとほと愛想がつきたのではなかろうか。もちろん彼女はインテリ女性として、上から下まで当時の朝鮮のあらゆるものをつくったのは二千年にわたる中華帝国であることを知っていた。旧弊朝鮮なるものへの彼女の嫌悪感は、「牢乎たる守旧アジア帝国はなくなるべきである」というキリスト教進歩史観が個人的感情となって顕れたのだろう。
 最終第37章「最後に」は、現在の韓国民が読んだらまさに国辱的な「まとめ」が書かれている。気の短い現大統領のようなひとが当時いたなら、ここを読めばイギリスとひと悶着あったかもしれない。現大統領は秀吉の朝鮮出兵をまだ根に持っているらしいから、悶着を起こすのはイギリスほどには怖くないこ日本に対してだけかもしれないが。
 p556−8 第37章「最後に」
 愚かきわまりない上層、構造的に出世できない中層、働かない下層
 国民のエネルギーは、過去何百年か眠ったままである。清帝国官僚のエピゴーネンである上流階級は愚かきわまりない社会的義務に縛られ、まったく無為である。中流階級には出世の手段がない。才能を見い出すべき仕事が何もないのだ。下層階級はその日食べるための労働しかしない。これらのことには十分な理由がある。首都ソウルの最大の商店ですら、コストと利潤の計算を年間通して行う「商業施設」のレベルに達していないのだ。都市のシステムがまだできていない社会なのである。人々を働かそうとする西洋や日本のような産業の仕組みが、国としてまったく発達していないのである。
 
 階級による特権、貴族と官僚による搾取、司法の完全なる不在、労働と比例しない収入、最悪の因習をくりかえしてきただけの政府、策略をめぐらすどろぼう官僚、王宮と小さな後宮に蟄居したせいで衰弱してしまった君主、最も腐敗したである清帝国との緊密な同盟関係、国じゅうにはびこり人々を恐れさせる迷信・・・・・・、こういったものが朝鮮をうんざりするほど汚らしい状態にまで落ちぶれさせたのである。
 

 朝鮮の重大な宿痾は何千、何万もの五体満足な人間が「自分より暮らし向きのいい親戚や友人にのうのうとたかろうとする」国民的体質にある。そうすることは朝鮮ではなんら恥ではないから、非難する世論もない。ささやかながらでも収入のある男は、自分の親族と妻の親族、自分の友人とその親族の面倒を、その収入分を超えて見なければならない。
 だから人々はわれがちに官職につこうとする。官吏になることで、額に汗して働くよりもずっと楽に、多くの親族、友人、知人たちという食客を養えるのである。官職の職位が商品として売買され、また上級にせよ下級にせよ官職がどんどん新設される理由はここにある。官僚が多いから朝鮮では中小規模の政治の内紛が頻繁に起きる。しかし官僚制度のおおもとはほとんど揺るがない。
 朝鮮行政府の雇用はこういった盗っ人階級の草刈り場同然である。この数十年朝鮮の品位を落としてきた党派争いによる政変は、政治理念の闘争ではさらさらなく、官職と金銭とを自由にできる地位の争奪戦にほかならない。政府高官はそれぞれ猜疑心が非常に強く、協力し合わない。朝鮮語辞典の編者によれば、朝鮮語の「仕事」という言葉は「損失」「悪魔」「不運」と同義だというから、「怠惰」こそ貴族の一員であることを証明する言葉なのだろう。
 農民は、しかしながら、ほかのどの階級よりも働いている。ところが働いた分だけの収入が得られる当てはまったくない。農家に少しでも余剰作物があると、地方行政官や在郷貴族たちが税として取り立ててしまう。だから農民たちは家族に着せて食べさせられるだけの作物を作って満足してしまう。いい家を建てたり身なりをよくしたりすれば、たちまち地方行政官や在郷貴族に目をつけられるのがオチだからだ。搾り取られるのが明々白々の運命である農民階層が無関心、無気力、無感動の底に沈んでしまうのは無理からぬことである。