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イザベラ・バード 『朝鮮紀行』(講談社学術文庫)2/3

 朝鮮紀行』は旅行記だから、現代の読者がほとんど知らない朝鮮半島の当時の暮らし、風物などにも、もちろん多くのページが割かれている。当時の朝鮮の宗教事情と結婚にまつわる風習の章が興味深かった。

 世界宗教を受け入れなかった朝鮮
 p85−92 第4章「朝鮮の種々」・p502−6 第34章「朝鮮のシャーマニズム
 清国や日本のどんなみすぼらしい町にもある、大きな宗教建築物がかもしだす独特の雰囲気が、この国にはない。清国と同じように孔子廟とその教えを記した碑があるのは別にして、ソウルには公認の寺院が一つもないのである。(豊臣秀吉の軍が朝鮮を侵略した後の)ある時期、仏教僧侶がソウル城内に入れば死刑に処せられかねなかった結果だということである。<南大門>外に軍神を祀った小さな堂があり、とても珍しいフレスコ画が描かれてあったが、参拝者に会うことはめったになかった。 
 

 寺院がないのは朝鮮の他の都市の特徴でもある。朝鮮の都市には聖職者もいない。家々には「神棚」がなく、村祭りには神輿もなく、偶像を運ぶ行列もなく、婚礼や葬式では聖職者が祝福をしたり冥福を祈ったりすることがない。心からにせよ、形だけにせよ、畏れ敬われる宗教的儀式や経典が生活の中に存在しないのは、朝鮮人の非常に珍しい特徴である。
 仏教は李王朝が始まる以前、千年にわたり大衆に好まれた宗教だったが、16世紀以来「廃止」されており、聖職者に対して過酷な法律が制定されるなど、実質的に禁止されてしまった。禁止の理由は、300年前に秀吉の日本軍が侵略してきたとき、日本人が仏教僧に変装してソウル入城の許可をもらい、守備隊を虐殺したからだという。その真偽はともかく、朝鮮ではよほど探さなければ仏教の形跡は見つけられない。寺院が一つもなく、ほかに宗教の気配が何もないとすれば、せっかちな人が朝鮮人には宗教心がないと考えても無理はない。

 祖先崇拝と鬼神恐怖と実利待望が一体になったシャーマニズム
 朝鮮人にとって私たちの宗教の代わりとなるものは、祖先崇拝と、大自然の力をびくびくと恐れる鬼神信仰である。祖先崇拝も鬼神信仰も「恐怖心」の産物だろう。祖先崇拝が守られるのは、子孫としての敬愛よりも、祖先の霊の怒りを恐れるからだろう。この祖先の霊の怒りに対する恐怖には、王族も賤民も変わりがない。どれほど貧しいあばら家だろうが大晦日には祖先の霊の前にたくさんのごちそうが捧げられる。
 ・・・・・朝鮮が外国人からもたらされた宗教をいそいそと受け入れる国だという考えは捨てるべきである。朝鮮人の受け入れる宗教は努力せずに金を得る方法を教えてくれる宗教である。どの宗教に対しても、宗教の理念にはおよそ関心がないため、たとえば孔子の道徳的な教えはどの階級でも儀礼的には尊重されるが、本人の心の徳性にはほとんど影響を及ぼしていない。朝鮮人にいわせれば、自分たちは宗教がなくてもうまくやってきたのだからかまわないでくれ、この世で実利的なことは何もしてくれないくせに束縛と犠牲を強いる宗教なんぞで煩わされるのはまっぴらだというわけである。

 300年前にソウル城内で仏教が廃止され僧侶の入城が禁じられた時点で、国家的信仰というものは一切朝鮮から消えてしまったのだが、それでも上述のように霊界に関するなんらかの認識は存続した。その認識とは、どの民族にも共通の祖先崇拝を別にすれば、おもに中層・下層階級が信仰した一種のシャーマニズムを通してであったと私は思う。
 おもに辺境で信仰されている無知な迷信をともなった仏教と、孔子廟に対して厳粛にあらわされる敬意はさておき、一般の民間信仰朝鮮人の空想の産物であり、主として自然の不思議な力への恐怖から生まれたしきたりで成り立っている。悪魔祓いと祈祷に用いられる呪文には中国から仏教とともに伝来したものがあるので、もともと外国、それも北アジアシャーマニズムとも遠からぬ関係にあった空想世界に、朝鮮人の想像力が独自の接ぎ木をしたといえるかもしれない。
 朝鮮のシャーマニズムすなわち鬼神信仰は、おそらく初期仏教の影響を受けたせいか、北アジアシャーマニズムよりはおだやかである。礼拝される鬼神は北アジアでのように必ず悪魔であるわけではない。しかし一般に人間の敵であることは変わりなく、報復や不意打ちが好きなことも北アジアと同様である。
 ・・・・・・・朝鮮にはパンスとムダンというシャーマン階級がれっきとして存在する。この階級は商業組合であるギルドの一つに組み込まれている。そのうちパンスは盲目の呪術師で、盲目の息子を持った親は、まず間違いなくお金を儲けて老後の親に楽をさせてくれるから幸運である。
 ・・・・こういった呪術師や風水師は家を建てるときや墓を建てるときは必ず雇われる。時ならぬ災難に遭ったり病気になったり、誕生、結婚、土地の購入時などにも頼りとされる。シャーマンのおもな機能は、儀式や呪術をして鬼神を感化すること、供物で鬼神をなだめること、託宣をすることである。その際、踊り、身振り、恍惚状態に入ることがシャーマンの重要な役割である。
 シャーマンの料金は高とても高い。国全体で鬼神信仰にかける費用は最低に見積もっても年間250万ドルにのぼるという。ちなみに朝鮮の1884年の外国貿易の輸入総額は247万ドルだった! 災いを除き福を招くためにはシャーマンを仲介者として使わねばならず、恐怖心を祓う「人件費」はかくも膨大なものである。