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イザベラ・バード 『朝鮮紀行』(講談社学術文庫)3/3

 p152−9 第9章「結婚にまつわる朝鮮の風習」
 ソウル近郊の漢江流域の町である婚礼の風景に出会った。結婚、弔い、悪魔祓いには朝鮮らしさがよく表れている。
 縁組の最初の段階では一般に仲介者が入る。新郎の父親から新婦の父親に金銭が渡されることはない。新婦が父から持参金を貰うこともないが、真鍮の金具や装飾の付いた立派な嫁入り箪笥に衣装をいっぱい詰めて輿入れする。婚約の儀式はない。
 占い師に決めてもらった縁起の良い日、新郎は正午の約一時間前に礼装姿で馬に乗り、父親の家を出る。このときだけは平民が道で土地の貴族に出会っても下馬しなくてよい。新郎の前には二人の男が歩き、ひとりは白い傘を持ち、もう一人は赤い服を着て配偶者への貞節の象徴である雁をたずさえる。この雁の象徴する配偶者への貞節は妻のみに求められるもので、朝鮮では女性だけの美徳である。
 このような際につきそうために雇われた二人の女性が、新婦をベランダまたは壇上にいる新郎の正面まで連れてくる。新郎はここで初めて妻の顔を見る。新婦の顔はわたしたちの目にはなんとも奇異に映る。おしろいを塗った顔に赤い丸をつけ、まぶたが糊でくっつけてあるのである。つきそいにうながされて新婦は二度新郎におじぎをし、新郎は四度新婦におじぎをする。婚礼を有効なものとするのは、相互にかわすこの公の面前でのあいさつのみである。

 ・・・・・沈黙は妻の務めの第一と考えられている。結婚式の日、花嫁は終日彫像のごとく無言でいなければならない。なにか喋れば、ひどいときには喋りそうなそぶりをしただけで、物笑いの種になる。沈黙は自室に下がった後も守られねばならない。というのも、女の召使いたちがひとり残らず花嫁のエチケット違反を見逃すまいと戸や隙間にはりついており、一言でも発してそれを聞かれれば、花嫁は女の世界での地位を失ってしまうからである。
 この無言を通すしきたりは、上流階級ではきわめて厳しく守られる。結婚後一週間後、あるいは数か月後にはじめて夫が妻の声を知る場合もある。義父に対してはこのしきたりはさらに固く守られる。嫁が舅と出会っても目をあげたり口を聞いたりしないまま何年もすぎることも珍しくない。
 妻が夫に対して守るべき義務はさまざまあるが、夫が妻に対して守るべき義務はあったとしても少ない。男が外面的な敬意を払って妻を遇するのは正しい行いであるものの、情愛を示したり伴侶として扱ったりすると嘲笑される。上流社会では、新郎は三、四日新婦と過ごしたあと、無関心であることを示すためにかなりな期間妻から遠ざかる。そうしなければ「不作法」となるのである。
 

 わたし(イザベラ・バード)の受けた印象では、他の東洋の一部の国でも見られたように、朝鮮では女性は結婚に情愛を求めてはならない。この国の女性はしきたりを破るという考えなど、おそらく頭に浮かべさえしない。その意味で、慣習牢乎たる上流階級より下層階級のほうが幸せな結婚ができるといえるだろう。またいわゆる「キーセン」問題は間違いなくこういった朝鮮上・中流階級に特有の結婚観から生まれたものである。いかに上流の男性といえど、およそ特定の女性に対して情愛を抱かずに自分の半生を押し通すことなど容易ではないからである。