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ウィングフィールド 『フロスト気質』(創元推理文庫)

 養老孟司の「おすすめ本リスト」で激賞されていたイギリスの警察小説シリーズ。作家の四作目にあたる。もともと養老さんの薦める本は、小説だけはぼくの肌にあわないのが多かったのだが、このウィングフィールドのものほど、病院の待合室で読んで、電車の中で読んで、時間の長さを忘れさせるものはない。午後何もすることがない日がたまにあるが、そんな日はフロストシリーズを100ページほど読んでいると、メガネのかかる鼻すじは少し痛いけれどいつの間にか夕方になって、しかも首の上に「快適な疲れ」が感じられたりして、朝のうちのつまらないストレス感がなくなっていて驚いたりする。
 小説の中身そのものはいつもの通り、イギリスの架空の地方都市デントンの警察署に務めるジャック・フロスト警部の大活躍譚。荻原浩というぼくの知らない小説家が「あとがき」で書いているように、「ジャック・フロストは、よれよれの服と小汚いえび茶色のマフラーがトレードマークのしょぼくれた刑事である。風采のあがらない探偵といえば、おなじみコロンボ警部や金田一耕助など過去にも数多くいただろうけれど、フロストの場合は身なりだけでなく一挙手一投足もだらしなく、おまけに不潔。口を開けばお下劣ジョーク連発。女を見れば卑猥な妄想が炸裂する。そんな、まったくしょうがないおっさんが、ひとたび事件が起これば、じつに明晰そのものの頭脳で次々と謎を解いていく・・・・。」
 モジュラー型警察小説といわれるジャンルの小説だから、わずか一日か二日の間に七つも八つも事件が起きる。しかもそれぞれが微妙に絡んでいて、たとえば強盗・家人誘拐事件の被害者少女が全裸状態で道路わきにいるところを保護されたが、少女は実は自分で衣服を脱ぎ捨てたのであって、少女をそんな状態に落とした麻薬、少女売春の事件がそこに関係してきたりする。しかも誘拐事件そのものが、強奪された宝石貴金属の保険金略取を目的に両親の仕組んだものだったりする・・・・・。
 ウィングフィールドの小説は、どの作品もこんな事件が七つも八つもたてつづけに起きる。「フロストもの」という大きなパターンはあるのだが、技巧みな作者は決して同じストーリーをつくらない。翻訳の文章もとても質の高いものなので、「どこかにあったような・・・」という感じをまったく抱かせない。それどころか読者はよほどしゃんとしていないと自分がどこにいるのかさえ、ときどきわからなくなってしまう。数十人の登場人物はもちろんカタカナ名前だから、「はてこの人は別に事件の人物だったのに・・・・」と勘違いしまう。本当に勘違いだったらいいのだが、勘違いではないこともあって、同じ人物が別の事件を目撃していたり、うその証言をしていたりするから、何十辺も何十ページか前に戻って確かめなくてはならない。
 ウィングフィールド1984年『クリスマスのフロスト』でデビューしたとされているが、荻原浩氏によれば『クリスマスのフロスト』が書かれたのは1972年らしい。小説として長すぎる、読者はついてきてくれないと出版社が判断して12年間もずっとお蔵入りしていたということである。ぼく自身『クリスマスのフロスト』の次に『フロスト日和』を書店で手にしたとき、このぶ厚さに耐えられるだろうかと、自分を疑ってしまった。それが、『クリスマスのフロスト』が出版社の予想をはるかに超えて売れ、以降『フロスト日和』、『夜のフロスト』、『フロスト気質』、『冬のフロスト』と順調に出て、養老さんを経てぼくの本棚に入ったということだ。