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横手慎二 『スターリン』(中公新書)1/2

 スターリンの人物像を再検討してみようとした本。晩年には居室や寝室に12個の鍵をつけていたというほど、猜疑心が異常な男だったことは確からしいが、そうしたスターリンの個人的性格と政治的「功績」は別のものであるという観点からこの本は書かれている。
 私が学生のころ以来、スターリンはレーニンの偉業を踏みにじってしまった人物であるされてきた。レーニンはマルクスの「科学的!」社会主義革命理論をみごとに実践した英雄だが、それを引き継いだスターリンは、社会主義の非人間性を暴露してしまった残忍・冷酷なだけの男だとされてきた。
 だから建前上の「人民を幸福に導く政治イデオロギー」としてマルクス・レーニン主義毛沢東思想は、現在でも(少なくとも中国と北朝鮮にだけは)あっても、「レーニン・スターリン主義」や「スターリン思想」というプロパガンダの文言は、(たぶん「インターナショナル」や「コミンテルン」の内部にいた人の間にも)ありえなかった。このあたりのことは、ヒトラーの『わが闘争』が、特異な性格を持つ「狂った天才」の行動規準を著したものとして政治学や心理学に興味を持つ多くのひとに読まれたが、政治プロパガンダの教本としてはドイツ以外の世界に全く流通しなかったのと似ている。
 著者・横手慎二氏は外務省調査員としてモスクワの日本大使館に勤務されていた方だが、この本を読みながら改めて「政治革命とは社会的テロ」であることを教えられた。横手氏はテロリズムが完全な悪であるというような、どこかの新聞記者のようなオボコイ人ではない。2001年のニューヨーク・テロの実行者は、死んだ6000人の家族には「完全な悪人」だろう。しかし死んだ6000人の家族を「守っている」はずのアメリカ国家が、実はアラブの大地の資源を政治的テロによって強奪し続けてきたことを知らないのでは、アラブの人たちが気の毒である。あのイスラム国に対しても、私たちは米欧の言い分ばかりを聞かされ、読まされて、現地の人々が「イスラム国は歴代政権の中では一番いい」と好意的であることを知らなさ過ぎる。

 スターリンは当時のヨーロッパ先進国に追いつくため、広大な国ロシアの農業資源の収入をすべて重工業生産体制充実のために充てた。簡単に言えば、全人口の8割を占める農民から農産物を極めて低い価格で強制的に買い上げ、その資金でヨーロッパから工業生産の技術と設備を輸入しようとした。農民は自分で作った作物さえ食べることができなくなり、1930年ごろには400万人から500万人の農民が餓死したといわれている(p191)。第一次世界大戦で死亡したロシア国民よりも多くのソ連人がスターリンの指導する重工業化国策によって死んだわけで、これが社会的テロでなくして何なのだろう。そしてその数年後、スターリンのこの社会的テロ=政治革命があったからこそ、ソ連はドイツの猛攻に耐えて東部戦線に勝利したのである。

 本書の末尾近くに、2003年にア科学アカデミーでなされたシンポジウム「スターリンなき50年 彼の遺産と20世紀後半に対する彼の影響」で報告された、セニャフスキーという政治学者の論文が紹介されている。横手慎二氏の結語に近い内容といえる。
 p296
 スターリン統治期の抑圧はいかなる形でも正当化できないが、それだけでスターリンを評価すべきではない。倫理と政治は峻別されなければならない。20世紀の政治家はだれ一人としてなんらかの倫理的判断を指針とすることはなかった。そのことは、(英・仏が恥知らずにも自国利益だけのためにチェコスロバキアのズデーデン地方をヒトラーに売った)1938年のミュンヘン協定を見れば明らかである。
 ・・・・ロシアでは抑圧はスターリンの1930年代に始まったのではなく、1917年に始まり20年代、30年代もずっと続いた。テロは、ロシアの歴史的伝統から・・・・・・、全人類的規範に従おうとする「革命主義」から、内戦での人心の野獣化から生じたものであった。
 同様の大量殺戮はフランス革命などヨーロッパ史にもみられた現象であってロシアにのみ見られたものではなかった。ロシア革命では貴族・資産階級の白軍のテロも、レーニン自ら「あの数百人を殺せ」と指示した赤軍のそれもひどいものだった。
 ・・・・・スターリンの急進的工業化政策は農民をひどい状態に抑圧した。また彼は第二次大戦の緒戦で失敗したし、戦争の前にも多数の司令官を抑圧したし、戦争での勝利も非常に高い犠牲を払うものであった。しかし、それにもかかわらず、第二次大戦の勝利は彼の功績であったことに間違いはなかった。しかもスターリンは戦後も、荒廃していた経済を短期間に立て直した。確かに彼の生み出した(5か年計画の)メカニズムは1960年代には動かなくなったが、それは後継者の問題であり、スターリンに責任を押し付けるべきことではなかった。