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丸山真男 『佐久間象山・幕末における視座の変革』(岩波・著作集第九巻)2/3

 ヨーロッパ近代文明ははたして今も通用する「普遍的」価値をもつのか
 はたして丸山真男は、彼の批判者の常用文句である「心底からのヨーロッパ近代主義者」であったのか。次の一節で、佐久間象山に「中国は五千年も昔に、不思議に早く智慧はついたが、その後は追々埒もなくなったではないか」と語らせながら、丸山が学んできたヨーロッパ近代文明の歴史的・空間的普遍性に疑問を投げている。
 p248−9
 第二次世界大戦後、20年がたって、アジア・アフリカだけでなく中南米でも中近東でも巨大な変化が起こってきて、世界の構造が大きく変わってきているときに、われわれの頭の中の世界地図に例えば中近東や中南米がどれほどの位置を占めているでしょうか。明治のときにできた欧米中心の世界像というものから、ほんとうにどれだけ解放されているか。欧米文化の中にある歴史上の「普遍的な」価値を認めることについて、わたしは(皆さんがよくご存じのように)人後に落ちぬつもりです(笑い)。
 ただここで思い出すのは、かつての日本が漢文明と漢学を後生大事に学んでいるしかたについて、象山が次のように批評していることです――中国文明は四千年も前の堯舜の時代に生じたということになっているが、堯舜になってにわかにあのような高度な文明が出現したはずはないから、事実はそれよりさらに千年、二千年前から発達したものであろう。にもかかわらず、その後中国がたどった歴史的現実と思い合わせてみると、「唐土は不思議に早く智慧つき候て、後世になり、追々埒もなくなり候と存ぜられ候」。ところが日本は、「その追々埒もなくなり候ところを学び候ゆえに、今に至りても智慧開けずと存じ候ことに御座候」。
 近代日本がいわゆる欧米文明から汲々として学んだものが、あるいは今日でも学ぼうとしているものが、(論理と価値の峻別、実証主義科学精神、民主主義政体などいくつかの)ヨーロッパ文明に内在する普遍的価値であるならば結構の限りです。けれども、もしわれわれが、「不思議に早く智慧」づいた近代西欧国家の、まさに「追々埒もなくなり候」ところをもっぱら学んできたとしたら、いわんやこれからもまねようとしたら、地下の象山ははたしてなんというでしょうか。ちょうど象山があの時点において、漢文明と漢学だけをありがたがる儒者国学者の認識用具をズルズルベッタリに使って世界を見ているのでは、「今に至りても智慧開けずと存じ候」と言ったその問題というものを、われわれはもう一度考えてみる必要があるのではないでしょうか。