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余 華(ユイ・ホア) 『死者たちの七日間』(河出書房新社)

 中国では、大昔からずっと、孔子が巫祝社会の中に育った時代からずっと、死者は自分の墓がない限り永久に冥界をさまよい続けなければならないとされているそうだ。古代人の恐怖が今でも生きているわけである。日本の八百神も朝鮮の北方アジア系シャーマニズムの迷信も、2000年以上の迷信の非合理体系ということでは同じだろう。
 そうした人民の、長江の流れのような恐怖の水脈を下地において、まともには見られないような現代中国社会のひどい問題がさまざまに描かれる。訳者が「あとがき」にまとめているが、住民がまだ住んでいるビルを破壊する強制立ち退き、二人目以上の子供を強制中絶させ嬰児を川に捨てる人口政策、党の上級機関の指示を受け、嬰児強制間引き事件の記事を取り下げる新聞社、闇の臓器売買で数日後に死んでしまう人、有毒食品の蔓延、公安当局のゲシュタポも青ざめる拷問・・・・。これらはどれも中国で暮らす庶民にしてみれば、いずれも日常いやというほど見聞きしている事件、ニュースである。だからこの小説が出たあと、「これは小説とは言えない。新聞記事やメディア報道の羅列ではないか」という批判が起こったという。
 しかし、北京中央や各省のトップ、人民解放軍の高級将校の利権欲だけが中国社会の問題をつくっているのではもちろんない。
 この小説の冒頭で、中国の葬儀場の待合室には、個室の特別貴賓室と、ソファーの貴賓席と、プラスチック椅子の一般席があるとされている。少女モデルの腹の上で腹上死した市長は「公務中に心臓発作を起こした」とされ、数百台の車列を従えて葬儀場に入り特別貴賓室で火葬を待つ。
 ソファーの貴賓たちは、市長の火葬を待つ間、自分たちの墓地が一ヘクタール以上もあり、風水的にどれほど「縁起が良い」かを、一平方メートルしかないプラスチック椅子に待つ庶民に聞こえるよう声高に話している。
 そしてプラスチック庶民たちはプラスチック庶民たちで、七年前に買ったその一平方メートルの墓地が十倍に値上がりしたことをひそひそと感慨深げに「自慢」しあっている。この『死者たちの七日間』はその一平方メートルの墓地さえ買えなかった人々の冥界での出来事を感動深く描いたものだが、彼ら最下層と人々といえども、中国社会4000年の拝金の泥流と無縁だったわけではないのである。
 作者・余華(ユイ・ホア)は『赤い高粱』のノーベル賞作家・莫言(モウ・イェン)と並ぶ実力の人ということだ。