アクセス数:アクセスカウンター

花田清輝 『復興期の精神』(講談社文芸文庫)2/3

 コペルニクスを語った『天体図』で、花田清輝はヨーロッパのルネサンス人について書きながらじつは「転形期の日本人」のありかた、つまり自分のこれからの闘い方を問うている。
 花田清輝は男らしい人だった。ぐずぐずと小理屈をひねくり回し、自分の勉強の足りなさを社会の不合理さのせいにするようなこの国の似非知識人が大嫌いだった。その意味で花田清輝コペルニクスのような男だった。すぐ下にあるように、「16世紀の孤独な転向者コペルニクスは冷静であり、慎重であり、ときとして曖昧ですらあった。そうして異端開祖流の不敵さを示すわけでもなく、したがって一度も「火刑台」に脅かされることもなく、同時代の夢想だにしなかった思想転換を実現しながら、悠々自適、平穏無事な70年の生涯を送ることができた」のだった。
 花田とコペルニクスが大きく違うのは二つだけだ。花田が生涯を通じて平穏無事ではなく、頭の奥に古代・中世的古層が仄見える多くの日本型知識人たちと論争しなければならなかったことと、たった65歳までしか生きられなかったことである。

 p56−65
 転向ということが問題となるたびに、いつも私はコペルニクスの名を思い出す。(戦前・戦中の)我々の転向が紆余曲折を経た結果の改宗であり、多かれ少なかれ悲劇的・感傷的な色彩を帯びているのに対し、16世紀の孤独な転向者――最初の転向者コペルニクスの転向は、あくまで朗然たる転向だった。
 ・・・・・、ドラマを好む伝記作者にとって不幸なことに、コペルニクスは冷静であり、慎重であり、ときとして曖昧ですらあった。そうして異端開祖流の不敵さを示すわけでもなく、したがって一度も「火刑台」に脅かされることもなく、悠々自適、平穏無事な70年の生涯を送ることができた。にもかかわらず、彼は文字どおり回天の事業をなしとげ、同時代の夢想だにしなかった思想転換を実現した。闘争をしているとも見えなかった人間が、実は最も大きな闘争をしていたのだ。
 ・・・・・、コペルニクスは必ずしも星ばかり眺めていたわけではなかった。彼は数学者であり、経済学者であり、医者であり、詩人であり、政治家でもあった。ハイルスベルクでは貧しい人々のために無料診療を試みた。フラウエンブルグの僧会では代表者を務め、数多くの外交的使命を果たした。また、五、六年の間、彼はアレンシュタイン市の行政官に選ばれ、掠奪をほしいままにする盗賊団の跳梁を全力で防ぎさえした。要するに彼は、ルネサンス期に輩出したあの「普遍人」の一人だったのだ。
 ・・・・・、1514年コペルニクスプロシア・ラテラーヌス評議委員会から、多年宿望されていた暦の改正を論議するための招待を受けた。すでにそのころ彼は『天体の回転について』を完成していた。しかし彼は、自分の学説を発表し闘争の火ぶたを切る絶好の機会であったにもかかわらず、太陽と月の軌道に関する知識があまりに不完全だからという理由をつけて、会議からの招待を断った。
 こういう用心深い態度は浮世の辛酸が彼に教え込んだ「賢明な」処世術にもとづくものだったのだろうか。彼の敵たちとは比較にならない高い水準に立っているので、とうてい喧嘩にならないとあきらめたせいだろうか。しかし、私には、それだけでは割り切れない、何かいっそう根本的なものが底にあるように思われる。
 事実として、ルターなど進歩派の漫罵も教皇など保守派の賛辞も、コペルニクスには無意味であった。本当のことがわかれば、彼らのすべてがたちまち共同戦線を張り、かおいろを変え、猛然と歯をむき出してとびかかってくることは明らかだ。しかしコペルニクスにとってそんなことは大したことではなかった。なぜというに、彼には彼一流の闘争のやりかたがあったからだ。
 率直に言えば、私はコペルニクスの抑制を彼の満々たる闘士のあらわれだと思うのである。彼のおとなしさは筋金入りのおとなしさであり、そのおだやかな外貌は、氷のように冷たい激情を内に秘めていたと思うのである。闘争の仕方にはいろいろあり、四面楚歌の中に立つ場合、敵の陣営内で対立と矛盾の激化するのを静かに待ち、敵を互いにたたかわせ、自らは悠々と力を蓄えることのほうがもっとも効果的であることを、はっきり彼は知っていたのである。
 彼の静かな戦略は的中した。まことにおめでたいことに、敵の一方の旗頭ルターは、コペルニクス的天候が単に天文学全体をひっくり返すのみでなく、ルターが確固不動のものと信じていたキリスト教全体を根底からひっくり返すものであることに、まったく気づいていなかった。さらにおめでたいのは、もう一方の代表である教皇レオ十世の態度だった。レオ十世は斬新なものならなんにでも興味を持っている人物で、コペルニクスに好意を寄せ、法王庁の内閣委員に命じてプロシア・ラテラーヌス評議委員会に書簡を送り、太陽中心説の数学的証明を要求した。新しがり屋のレオ十世は『天体の回転について』をただの新奇な仮説だと思い込んでいたのである。