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丸山真男 『個人析出のさまざまなパターン』(岩波・著作集第九巻)

 社会の近代化または資本主義の高度化にともなって、その社会の個人の心理や行動はどう変化せざるを得ないか―――。このことに対して、簡単な図式を使いながらもハッとするような明解な論証を試みた論文だ。読み始める前は、こんな十把ひとからげ的な、類型的な説明でいいのかなと心配するほどだったが、なんのことはない、いまのネトウヨや在日ヘイトスピーカーなどの行動がすとんと腹に落ちる形で説明できる。「原子化した個人」の概念はハナ・アーレント全体主義の起源』でも、ユダヤ人に暴力を繰り返す東欧・中欧の下層市民を分析する際に使われていたが、本書のほうが格段にわかりやすい。

 
 こうした個人析出を行うあたって、丸山は個人の心理や行動を、図に示された自立化、民主化、私化、原子化、の四つのパターンにカテゴライズする。この図の水平軸は個人が政治的権威に対していだく意識の距離の度合いを示す。垂直軸は個々人がお互いの間に自発的に進める結社形成の度合いを表す。
 p383−6
 ・・・・・この図に示すように、自立化した個人は遠心的・結社形成的であり、自主独立で自立心に富む。イギリスの自営農家層から生長した上昇期ブルジョワジーや、合衆国を建国した植民地時代のピューリタンたちは、このタイプを代表している。
 このタイプと全面的に対立しているのが原子化した個人で、求心的・非結社形成的である。社会的な根無し草状態の現実もしくはその幻影に悩まされ、行動の規範の喪失に苦しんでおり、生活環境の急激な悪化がひきおこした孤独、不安、恐怖、挫折の感情がその心理を特徴づける。ネトウヨや在日ヘイトスピーカーはここに分類できる。 原子化した個人は、ふつう公共の問題に無関心であるが、往々ほかならぬこの無関心が突如としてファナティックな政治参加に転嫁することがある。孤独と不安のために、このタイプは権威主義的リーダーシップに全面的に帰依し、また国民共同体・人種文化の永遠性といった神秘的「全体」のうちに没入する傾向を持つ。ヒトラー直前のドイツが有名だが、一般的には近代化の高度の段階、それも都市化した個人の間の現象といえる。
 民主化した個人は、自立化タイプと原子化タイプの中間である。・・・・民主化した個人は自立化タイプよりも求心的で、中央政府を通じる改革を志向する。民主化した個人は自立化タイプよりも大衆運動に積極的であり、この意味では原子化した個人に接近する。自立化タイプが至高の大義とする自由よりも、民主化タイプは平等の理想を強調する。
 民主化タイプの反対が私化した個人である。原子化した個人のように、私化した個人も、自らすすんで隣人と結ぶのを嫌う。しかし、私化の場合には、関心の視野が個人の「私的」なことがらに局限されるだけで、原子化タイプのように浮動的ではない。両者とも政治的無関心が特徴だが、私化タイプの無関心は内的不安からの逃走ではなく、社会的実践からの隠遁といった方がいい。こうして彼は、原子化した個人よりも心理的には安定しており、自立化した個人に近い。
 しかも私化した個人の「隠退性向」は、複雑化した社会・政治生活が彼を呑みこもうとするのに対する自覚的な対応の現われであって、伝統社会に顕著だった公共の問題に対する「自然的無関心」と混同してはならない。