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辻原 登 『寂しい丘で狩りをする』(講談社)

 性的暴力を受けたことのある二人の女性(仮にA子とB子とする)が主人公。二人とも、過去に暴力を受けた男から現在もつけねらわれ、命の危険もある。A子を狙う男は父・兄とも芸術院会員という階級に生まれたプロカメラマン崩れ。B子を狙うのは朝鮮引揚者の家庭に育ち福岡の場末の映画館で映写技師をしていた男。二人の男はまったく接点はななく、どちらもいわゆるストーカーなのだが、「自分は狂っていない」という固い信念を持っている。二人の社会のあぶれものがなぜそういう自分信仰を持つようになったのか、その経緯を作者は明らかにしていない。
 この情けない男どもに対して、A子はトーキー時代の日本映画の修復・保存を行う団体の学芸員。B子は探偵社で上司に高い評価を受ける正社員である。二人ともきちんとしたキャリアを積んでいる働く女性である。
 そんな劇画的な人物対比を感じながら、「寂しい丘で狩りをする」という題名の意味を読む途中で何度も考えたが、とうとう分からなかった。二人の男はそれぞれA子とB子を一度はレイプしており、本の中ではそれを再びみたびやろうと彼女たちを「狩りたて」る。しかし最後の結末では、プロカメラマン崩れ男はA子のわいせつ写真をマンションのバスルームで撮ろうとして、持病の心筋梗塞を起こして頓死してしまう。元映写技師にいたっては、マンションの暗がりで待ち伏せしていたところを、B子にスタンガンを首筋にあてられて気絶し、逮捕されてしまう。どちらの男も返り討ちにあって「狩られて」しまうわけで、「狩り」をするのがどちらかさえまったくわからない。それに「寂しい丘」とはいったい何なのだろうか。
 この小説はインターネットでの読者レビューで評判がよくない。アマゾンではたった三人しかレビューを寄せていない。輝かしい経歴を持つ作家の本にしては異常な少なさである。それも「嘘くさい」、「読後感モヤモヤ」、「わざとらしい偶然が重なりすぎ」とさんざんだ。

 辻原登はいま70歳。池澤夏樹村上春樹とならんで現代日本を代表する作家だ。2010年に書いた『許されざる者』は楽しめる小説として完璧な出来栄えだった。当時彼の名は全く知らなかったが、19世紀的ロマン小説世界を隙間なく作れる練達ぶりに驚いた。展開はすべて会話の中で告げられ、よどみがなく、数十箇所にも張られた伏線はおどろくほど完全だった。考えてみれば当たり前の話で、それまでに芥川龍之介賞読売文学賞谷崎潤一郎賞大佛次郎賞などを取りまくった大家だったのだ。その辻原登が「嘘くさい」、「わざとらしい偶然が重なりすぎ」とアマチュアにくさされては悲惨というほかない。でもこのレビューは本当のことを言っている。
 ひとつ大きな瑕疵もあった。139ページの「元映写技師が予約した福島発東京行き高速バス1番B席の客が定刻になっても現われない」という伏線(らしきもの)はどういう意味だろうか。ベテラン作家の「サスペンスタッチ小説」としては恥しいミスである。
  
 一度大当たりした作家があと何年にもわたって自分を厳しく律するのはとても難しいのだろう。そういえば『許されざる者』の後に出した『闇の奥』(2011年)、『韃靼の馬』(2012年)も、主人公の不可解な行動とストーリー整合のご都合主義が目立った。「物語」を読ませるタイプの作家が、語りの筋道に破綻をきたしては誰にも相手にされなくなってしまう。少しは川村元気など当世エンタメ作家のまじめさを見習ってもいいのではないか。