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ミシェル・ウェルベック 『素粒子』(ちくま文庫)1/2

 素粒子」というのは小説のタイトルとして変わっているな、と思った。ブックカバーに印刷された150文字ほどの宣伝文にも主人公の一人は分子生物学者で云々、と書かれているだけだったし、素粒子分子生物学がどこに交叉する部分を持つのか不思議だった。ひょっとして邦訳者が思い切った意訳をしたのかとも考えたが、原題のフランス語も「素粒子」だった。
 ところが本文に入って20ページほどすると、突然量子力学の話が出てくる。 『量子脳理論』という文系には全く読みこなせない書物ロジャー・ペンローズ著・茂木健一郎訳)の存在だけを知っていたので、次のp23の、小説中の挿話とは思えないパラグラフを読んだとき、ひょっとして・・・と感じるものがあった。それは、「細胞分裂時の遺伝子コードの複製は量子力学を抜きに語れないのではないか」という直感だった。細胞分裂時の遺伝情報の複製のときに働く「場」や「力学」は、粒子としての局在性を確認できる分子レベルの「場」や「力学」とは違うのではないかという直感だった。少なくともこの本でミシェル・ウェルベックが書きたかったのはそのことだった。ただしこの小説がSFであると気付いたのはずっと後のことだった。

 p23
 ニールス・ボーア量子力学の真の創設者とみなされているのは・・・・・、とりわけ知的熱気、精神の自由と友情にあふれたすばらしい雰囲気を彼が周囲に生み出したことによる。ボーアによって1919年に創立されたコペンハーゲン理研究所には、当時のヨーロッパ物理学会のおもだった若手研究者が結集することになった。・・・・・・・哲学的炯眼と優しさ、そして厳密さを兼ね備えたボーアは、若い物理学者のいかなるアイディアであれ一笑に付すことはなかったが、実験の解釈をめぐってはあいまいさを一切認めなかった。研究所には科学者だけでなく政治家、芸術家たちもまねかれ、話題は物理学から哲学、歴史から芸術、宗教から日常生活へと自在に広がった。古代アテネ以来、これに比すべきものが生じたためしはなかった。こうした雰囲気の中で、1900年マックス・プランクによって初めて導入された量子概念の「コペンハーゲン解釈」が練り上げられ、それまでの空間、因果律、時間に関する考え方をほぼ完全に無効にしたのだった。・・・・・・・。

 『素粒子』の主人公はブリュノとミシェルという異父兄弟である。母親は13歳で性的交渉を経験済みというパリ大学医学部出身の奔放な美人だった。兄ブリュノは、その方面だけ母親の血を引いた、性的誘惑に人生を狂わされっぱなしの(大学教授資格をもっている)高校教師。太って容姿に恵まれていないことから子供時代はひどくいじめられ、大人になってもアメリカのヒッピー風キャンプや乱交パーティ専門ナイトクラブで数々のあわれなご乱行をくりかえす。弟ミシェルは逆に、異端の映像作家だった父に似た孤高の風貌を天才分子生物学者。異父兄ブリュノとは対照的に純潔を貫こうとし、周囲が振り返るような美人の幼なじみが言い寄ってもうまく関係を築くことができない。
 400ページを超す全体の半分以上はブリュノの喜劇的な激しい性的生活が描かれている。なかでもオルダス・ハクスリーが裏側で「理論的支柱(!)」の役割を果たしたとされているカリフォルニアの「ニューエイジ」のセックス描写はうんざりするほどだ。セックスや薬物の快楽にひた走るブリュノやカリフォルニアの「ニューエイジ」の人々をなぜここまでグロテスクに書くのか。・・・・最後まで読むとオルダス・ハクスリーの「偽物哲学」に対するウェルベックの激しい怒りが伝わってくる。