アクセス数:アクセスカウンター

福岡伸一 『せいめいのはなし』(新潮社)2/2

川上弘美さんと――細胞のコミュニケーション不調ががん発生につながる
 p71−3
 福岡 動物の細胞が正常な組織に分化していくかどうか、その重要なカギを握っているのは発生当初のES細胞同士のコミュニケーションなんです。たとえば細胞同士のコミュニケーションがない状態、つまり細胞を一個一個バラバラにしてシャーレに撒くとどうなるか?前後左右上下の細胞がないのですから、互いの空気が読めなくなって、結局みんな死んでしまうんです。つまり、自分が何になるかを決められなくて、死んでしまう。
 このES細胞に空気を読ませると何とかなるんです。別の受精卵からできた数百ぐらいの細胞の塊の中に、自分探し中のES細胞を戻してやると、前後左右上下の細胞とうまくコミュニケーションができ、心臓になったり脳や肝臓になったりする。でもわずかに入れるタイミングや入れる場所がずれたりすると、コミュニケーションができなくなって、ES細胞は何にもなりきれずにどんどん増えて、ガン細胞になってしまう・・・・。
 川上 擬人化した言い方ですけど、まるで人間の社会ですね。周囲の声が聞えない場所に生きていて、それでも生き続けてしまうES細胞なんて、ものすごく孤独なように思います。
 福岡 今おっしゃられたように、科学は擬人化してはいけないとも言われますが、細胞の振る舞いを記述しようとすると、擬人化しないと語れないことがたくさんあります。
 川上 もし永遠に生きたら、自分ががん化していることになるわけか・・・。
 福岡 そうそう。

朝吹真理子さんと――文明は自然物である人間が、自分の外に機械的に作り出した秩序
 p79−81
 福岡 一般の人は記憶というと、スライドのようなかたちでアーカイブがあって、一つ一つ引き出されるという形を想像します。でも脳の中には、そんな記憶物質などどこにもありません。体内のすべての物質は高速の代謝回転の中でたえまなく分解されているので、記憶が物質レベルで保存されていることはありえないのです。
 では、記憶とは何か。脳の回路は細胞の常としてたえず再編されているので、かつて流れていた場所のこの辺りかなという周辺を電気が流れているだけです。つまり、昔の記憶がそのまま再現されているのではない。記憶とは瞬時瞬時に新たに作られているもので、蓄積されていたものが甦るのではない。そして新しい電気信号そのものも、流れるとすぐに消えてしまいます。
 今情報化社会といわれていますが、インターネットの中にある情報のように、それは止まっている情報です。アーカイブのようにずっと固定的に蓄積され続け、必要なときに引用されるものは、生物学的な意味の情報ではありません。
 ただ、記憶が不確かだと、自分の同一性や、越し方・行く末をクロノジカルに考える上ではとても不安です。だから字に書いたり、記憶のアーカイブを作ろうとすることは、生命が瞬間的な現象であることに対して抗っているのだと思います。
 朝吹 自然科学で使う数学はこの世の理(ことわり)を知るための道具ですよね。でも、数学だけの世界になると、ほとんど虚妄や狂気に近い。この世の論理とは全然違う理があるという仮定のもと、狂気のような数学を作り出してしまう・・・。
 福岡 蜂の巣はきれいな正六角形だといわれています。でもよく見ると(世の理を映したように)本当に正六角形だけで成り立っているものは一つもありません。端のほうに行くと小さく潰れており、最後は疲れてやめたという感じになっています。逆から考えれば、自然は、数学的なアルゴリズムかを使ってパターンを構築しているわけではないということです。なのに、人間はどうしても自然を数学や言語で記述しつくせると思いがちです。
 朝吹 危ないです。
 福岡 メカニズムさえコントロールできれば世界のすべてを制御できるという錯覚の果てに、今の文明の問題があるように思います。それを熟議だとかいって。それはまったく違う。文明は自然物である人間が自分の外に機械的に作り出した秩序に過ぎません。震災の後の一連の後始末についてよく聞かれますが、機械的な世界観の行き着く先をいま見せられている気がします。

 養老孟司氏と――インターネット情報をどれだけ扱えても達意の文章は書けない
 p119−20
 養老 擬態で問題になるのは、捕食者である鳥やトカゲが虫をどう見ているかでしょう。
 福岡 鳥の目、トカゲの目と人間の目は違う。
 養老 トカゲの目は四原色ですから、人間の見え方とまったく違うんです。四原色で見たらいったいどう見えるのか。トカゲに対して昆虫の擬態は、生存上、有利なものとして成り立っているのか。
 福岡 パーツに注目して「これは有利だから」と考えるのは、非常に悪しきダーウィニズムです。種の選択の説明として単純すぎる。ダーウィニストの言う「種の多様性」だって、ダーウィニズム的原理が隅々まで行き渡っていたら、それこそこんなに豊かな多様性に地球が満ち溢れているわけがない。
 養老 自然選択するなら、なんで人間だけにならないのかと思うよね。
 福岡 自分たちの視覚が万物に通じるように人間が感じるのは、人間の脳がパターン認識をするようにできているからでしょう。あるいはまだ人間の脳がその段階にとどまっているからでしょう。模様が似ているといっても、今の段階の人間が見て似ていると感じるだけで、そんなのは虫からしたらわからない。私が見ている鮮やかな赤を、色覚異常の人は違う色に見る。人間同士でもそうなのに、昆虫やトカゲや鳥が同じかどうかなんて、絶対に違いますね(笑)。
 養老 いま学校は情報化したものを扱う場所になって、「情報処理作業」ばかりをさせている。以前の学校は作文を書かせて「情報化作業」を教えていた。言葉になっていない状況を書かせることは、本当の意味の情報化作業ですが、いまはその作文をあまりやらせないから、インターネットという固定化された情報のつまみ食いになる。言葉ができていく状況を身をもって経験しないから、言葉は、現実があってそれを自分の能力に合わせて動的に分節していくものに過ぎない、という大前提が崩れてきています。
 p133−4
 福岡 おっしゃるようにインターネット上の情報は止まった情報ですよね。どんどん更新されるから流れているように見えるけれども、それはアーカイブの層が重ねられるということだけです。どんな層も、いったん生まれたら最後、止まって動かないものになってしまう。
 養老 ものごとは動的状態が本質だとは考えられていない。アーカイブ化された情報のほうが本質だと考えるのは、すべてを言葉で分節しようとするプラトニズムでしょう。そういうものに慣れちゃった人に生物について考えさせると、とんでもないことになります。
 話は少しずれますが、アーカイブ化した情報を重視したからこそ、江戸幕府鎖国をしたんでしょう。鎖国というのは情報を止める装置です。物流が完全に止まっていたかはともかく、人間が入ってこないだけで相当な情報制限になります。
 福岡 いまマスメディアで幅を利かせているのは因果律的思考ですね。一つの大きな事故が起きると、その背景にある細かい要因がドミノ倒しのように連鎖したものだとする。初等数学のようにわかりやすいモデルを使うから、素人受けしやすい。
 でもこの考え方は、ものごとは動的な平衡状態にあるのが本質だとする思考法の対極にあります。或る平衡状態が次にどのような平衡状態に遷移するかは、ほんとうに偶然に過ぎない。すくなくともTVや新聞で解説できるほどには、平衡の遷移は簡単にモデル化できない。事故がおきるのはどこかにもっと本質的な構造があってある種の必然がある、こう考えがちなのは人間の認識の限界なのかも・・・。
 養老 悪い偶然の積み重なりということを、みんなあまり考えたくないんですね。たとえば、『水俣病の科学』を書いた西村さんたちによると、アセトアルデヒドを水銀触媒で作っていた会社は、世界で何千もあったろうけど、あれだけの大惨事を起こしたのは日本のチッソだけだった。それによれば五つの独立した過程があって、その全部が悪いほうに転がって、あの事件が起きたんです。
 福岡 そういうことを歴史の必然として、因果律的に考えるのが少し前からの日本の流行なんですね。