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フィリップ・ボール 『かたち』(早川書房)1/3

 一つの球形の有精卵から、アリやクラゲやネズミやクジラやヒトの、まったく違う「かたち」はどうして生まれるのか。「どうして」とは、「どのようにして」と「なぜ」という二つの意味においてである。

 p27
 昔の自然哲学者が自然の中に複雑性を見出したとき、神の手になる芸術作品を自分は眺めているのだと思ったとしても不思議ではない。18世紀末のイングランド神学者ウィリアム・ペイリーが、『自然神学』で、生き物の世界の仕組みはあまりに精巧、絶妙で、この世界を導く知性のなせる業でしかありえない、と述べたように。世界をピラミッド型の階層構造として理解し、最底辺に鉱物、その上に動植物、最上位に人間を置き、さらにそのはるか彼方にピラミッド全体の設計者を措定することで、キリスト教徒たちは安心を得ようとしたのだから。
 この手の考えのきれっぱしは、今日も「知的設計(インテリジェント・デザイン)運動」の主張のなかに生き残っているし、ビッグバンを宇宙の始まりとする通俗的な近代宇宙論は、今では、神による設計の証拠を発見したいと望む人々がそういうものを探す恰好の場にさえなっている。

 ダーウィニズムは生物の形の力学的由来を忘れていないか。
 p29
 もちろんダーウィニズムはペイリーの自然神学を不要な、馬鹿げたものにした。しかし同時にダーウィニズムは、時として、同じ魔術に頼ってしまう危険があるようにも思われた。自然界に見られる、世界を導く知性の設計の例のように思える一つ一つに対して、「神の御業」と宣言するのとは形だけ逆にして「進化の御業」と叫ぶ傾向があったからだ。
 p31
 では、生物の形を仕組みは何なのか。これから何度も出てくるスコットランドの動物学者ダーシー・トムソンが1917年に出した『成長と形』によれば、「ダーウィン学派の形態学者は生物種ごとの特定の一つの形が、環境適応のための最も効率的な形だと決めてかかって満足していて、そうだと証明する手間を取らない。ダーウィニストは、仕組みのことはすっかり忘れて、生物の形がその生物の力学的な要請によってどのように決まるかを考えずに、いろいろな生物のあれこれの特徴を比べることに取り付かれている」。
 p33
 ダーシー・トムソンが言っているのは、たとえば牡羊などの螺旋形の角が、ある物理的な力の作用でどのようにできるのかを問題にすべきだということだ。羊の角や巻貝の湾曲した形を説明したいなら、湾曲の直接の原因である対数螺旋という数学的に単純な成長法則によって説明すればいいではないか。この対数螺旋は、星雲や台風という巻貝や羊の角などよりははるかに大きな自然現象も自分の成長に採用している単純な法則である。
 対数螺旋は、中心から引いた直線との交点の間隔が、中心から離れるにつれて広がっていくような形である。貝が成長して中身の軟体が大きくなっても、従来どおりのやり方で外側の貝殻を少しずつ大きくしていけば、巻貝はどんどん住処を拡大できるのが、この対数螺旋形状の最大の特徴である。
 巻貝の殻が数学的な優美さを備えるのに、この軟体動物が幾何学的な見通しを持っているという必要はないだろう。この形は、効率的な成長の自然数学――絶え間なく大きさを増しながら一定の形を保てる数学の結果に過ぎないのだ。
 角や巻貝のゆるやかな湾曲は、単に、外周の片側に近いところほど速く、もう片側に近いところほどゆっくり成長しただけに過ぎない。そうすれば見事に弓形ができる。「自然選択による絶妙な調整」といった進化論的な議論は余計な、あるいはせいぜい補助的ななものに過ぎない。

 すべての遺伝子地図がわかっても、それはブラックボックスがネットワーク化されただけのことだ。
 p38
 もちろん今日の生物学者は形の問題について、「適応」というダーウィンの魔法の言葉より手の込んだ答えを用意している。ダーウィニズムの微視的な基盤である遺伝学に頼るのだ。この態度が、2000年に最初の下書きが完成したヒトゲノム計画を支えている。
 テレビのニュース解説とは違って、ある遺伝子が関わる生物学的な現象を答えるうえで、その遺伝子の所在を知ることは、ほんの手始めでしかない。遺伝子のおおかたには、タンパク質の化学的構造が暗号化されている。しかし、生物学的な現象を答えるうえで重要なのは、特定のタンパク質が生成されることが、細胞の中の生化学的なネットワークにどう影響を及ぼすか、それが私たちの身体にあってどのような生理学的結果をもたらすかである。
 だから、ヒトゲノム計画で全遺伝子の地図が作成されても、それは全部のブラックボックスが見つかったということに過ぎない。たとえば遺伝現象にはまちがいなく遺伝子が関与しているが、その関与の仕方はほとんど「ブラックボックスの集合体=ブラックネットワーク」のままなのである。
 p39
 しかも有機体はタンパク質だけで成り立っているわけではない。糖、脂肪酸、ホルモン、酸素や窒素酸化物、塩分、ミネラル。こうした物質はどれも遺伝子に暗号化されていない。だから、ゲノムを見ても、これらがどんな役割を果たしているか見当もつかない。
 だが、こうした物質は細胞のレベルにおいて、(もっと大きなスケールでも)、きわめて組織化された相互作用を行っている。こういう構造はどこからくるのか。この構造ができるうえでタンパク質は大きな役割を演じるが、かといって、それぞれの物質の表面張力、電気引力、流体の粘性などを無視できるわけはない。遺伝子ハンティングをしても、このようなことについては何もわからない。