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柄谷行人 『日本近代文学の起源』(岩波現代文庫)

 「自意識」というものが日本近代文学の中でいつ現れたのかを知りたくて読んだ。「脱構築」や「エクリチュール」や「シニフィエ」や「シニフィアン」など、前世紀の終わりごろひたすら有難かったが評判は極めて良くなかった単語が何度か出てくる。しかしたとえば漱石の『こころ』の「先生」と乃木希典の関係を、著者がフランス直輸入の哲学用語でいくら解析してくれても、私のアタマは自分の胃の底にすとんと落ちてくるようなイメージをつくれなかった。それ以外のことでは、いくつか教えられるところがあった。
 風景の発見
 p21
 中世ヨーロッパの宗教画と中国の山水画は、対象をまったく異にするにもかかわらず、対象を見る形態において共通している。山水画家が松を描くとき、それは「松という概念」を描くのであり、特定の時空間で見られた松の木なのではない。中世ヨーロッパの宗教画における「マリアの受胎」が「処女懐妊という概念」を描くのと同断である。中世ヨーロッパでも中国でも、伝統的な画家は「固定的な視点を持った人間から、統一的に把握される概念」として、対象を描いたのである。
 文学についても同じことがいえる。たとえば、松尾芭蕉は「風景」をみたのではない。芭蕉にとって。風景は言葉であり、過去の文学にほかならなかった。柳田国男が言ったように『奥の細道』には「描写」は一行もない。杜甫漢詩、『平家』の名場面の記憶などで満ち満ちている・・・・・・・・。
 同じことは井原西鶴についてもいえる。リアリスト井原西鶴なるものは、明治二十年以後に近代西洋文学の視点から見出されたものに過ぎない。俳諧師であった西鶴のリアリズムとは、いわば「グロテスク・リアリズム」なのだ。

 内面の発見
 p51
 明治十年代、市川団十郎が当時大根役者といわれたのは、その演技が新しかったからである。彼は古風な誇張した科白をやめて、日常会話の形を生かした。また身体をいたずらに大きく動かす派手な演技よりも、精神的な印象を客に伝える表現に苦心した。・・・・・・
 団十郎の演技は「写実的」であり、すなわち「言文一致」であった。もともと歌舞伎は人形浄瑠璃にもとづいており、人形の代わりに人間を使ったものである。「古風な誇張した科白」や「身体をいたずらに大きく動かす派手な演技」は舞台で人間が非人間化し、「人形」化するために不可欠だったのである。
 それまでの観客は、化粧によって隈どられた顔にこそリアリティを感じていたといえる。いいかえれば、「概念」としての顔にセンシュアルなものを感じていたのである。それは、芭蕉の紀行文に感心する読者が概念としての風景に満足していたのと同じである。

 日本文学の構成力
 p224-5
 鴎外の歴史小説に、悲劇的な物語を予期しながら読み続ける読者は、終末でたいがいはぐらかされてしまう。鴎外は、じつは、自分の歴史小説が一つの「物語」として読まれることを斥けるために、さまざまな工夫を凝らしているのである。この「工夫」は、『興津弥五右衛門の遺書』を再版時に大幅に改稿したときから、始まっている。
 その理由はきわめてあっさりしている。「わたくしは史料を調べて見て、その中にうかがわれる「自然」を尊重する念を発した。そしてそれをみだりに変更するのが厭になった・・・・。」
「厭になった」のは鴎外だけではなかった。纏まりをつけることへの嫌悪、言い換えると「構成」への嫌悪は、大正期において、鴎外の「歴史小説」への傾斜と並行し、いわゆる私小説として支配的な傾向となっていた。
 p248-9
 谷崎が(中短編しか書かなかった)芥川龍之介との論争の中で、日本文学における構成力の欠如を東洋的なものの一般的特徴と見なして「いない」のは、見識である。それは、中国やインドと比較して言えるだけでなく、日本と同様に中国の周辺文化である朝鮮と比べてもはっきりしている。
 たとえば、儒教は朝鮮において完全に“肉化”しているが、日本ではそうではない。仏教哲学にせよ、朱子学にせよ、そうした体系的理論に対しては、日本では最初は熱狂するとしても、次第に持続的関心を失い、親鸞伊藤仁斎のように“実践的”なものに“発展”させられてしまう。・・・・・・
 ただし、「構成力」は個人の知的な能力や意思だけでどうにかなるような問題ではない。実際それは「意識」の問題ではない。ユング派心理学の河合隼雄は、臨床経験から、「西洋人の夢が構造を持っているのに対して、日本人の夢は、なんかダラダラしていて、どこで切ってもいいような、私小説じゃないが、いつでも終わりにできるようなものが多い」と言っている。(p238)
 日本の小説に構成力が欠けているということは、日本の社会が構成力ある思想をさほど必要としないということであり、また、構成的なものがそのつど、“外”から導入されたということである。山口昌男の説を敷衍していえば、日本の「公権力」は、外圧をまぬがれているとき、それ自体「村落的世界」のレベルに戻って、異物を排除してしまうのである。
 「外圧をまぬがれ、村落的世界のレベルに戻った」ときとは、古代朝鮮=大和王権が確立したとき、鎖国によって近世徳川政権が磐石となったとき、まさかの日清戦争に勝って世界に注目されたときのことである。