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辻原 登 『韃靼の馬』(日経新聞社)

 近世中期の一八世紀初頭、徳川家宣、家継、吉宗の頃の歴史活劇小説。2012年の春にナントカ褒章を受けた辻原氏得意の分野だ。
 側用人新井白石が牛耳る江戸幕府と、家宣の将軍襲位を祝う朝鮮通信使のあいだで、国としての格の上下をめぐる名分論が戦わされる。日本には朝鮮を武力では圧倒し続けた優越感があり、朝鮮には漢字・仏教儒教を日本に伝えた文化先進国の矜持がある。
 新井白石は抜きん出た朱子学者なのだが、儒教先輩国の朝鮮通信使を江戸将軍への朝貢使だと考えていて、朝鮮に対して無理難題を持ちかける。通信使がソウルを出発した後になって、将軍の呼称をそれまでの通例であった「日本国大君」から「日本国王」に改めるよう要求することも、その無理難題のひとつだった。
 白石の論法はこうだ。「称号変更の理由は二つある。一つ。『日本国王』号は室町時代以来使われていたことがある、古例にのっとった称号である。二つ。天皇は中国の皇帝に等しく、その臣下である征夷大将軍を皇帝より下位の国王で呼ぶのは名分論においても妥当である。」
 この小説には、新井白石と並ぶ秀才であった雨森芳洲が何度か登場するが、その雨森芳洲が白石の名文論に反駁する。「わたしはそのようには考えない。なぜなら、日本の主権者は天皇であり、位が将軍の上にあることはあきらかだ。日本国王と称すれば当然日本国の王を意味する。天皇の下に、越前王というように諸国の王があるのはいいが、日本国の王といえば、当然、日本における至高の存在を指す。これは天皇の尊号を蔑ろにするものといわなければならない。(p42)」
 一読してあきらかなように、理は雨森芳洲の方にあり、新井白石の名分論は内輪の間でだけ通用するおためごかし公式論に過ぎない。朝鮮国王は中国皇帝によって半島を封じられたからこそ「国王」なのであって、そのレベルで論じるなら、天皇が中国皇帝によって日本に封じられていたならば天皇こそ「日本国王」である。白石の二つ目の論拠である「天皇は中国の皇帝に等しく」というのが、そもそも島国の井戸の中からの発想なのだ。
 ちなみに、吉宗の将軍襲位を祝う通信使のときには、将軍の呼称はふたたび日本国大君に戻っている。白石は吉宗就任とともに側用人を解任され、時代が貨幣経済社会に徐々に変わっていくなかで学者・政治家としての価値はなくなっていく。

 小説そのものは、吉宗に献上する韃靼産の天馬をめぐって、日本、対馬、朝鮮、満州、清国、韃靼の勇ましい若者、美しい女性、ならず者、盗賊、差別芸人たちがぐるぐる巻いて立ち回る娯楽時代劇である。プロット建てや伏線の張り方は完璧であり、冒険譚だけでなく、コメの先物商いという世界でも最先端だった取引法の話も出てくる。六百ページを超える分厚さだが、毎日何十ページかを寝転がって読むには恰好の本だ。辻原氏ならではの、はやりのライトノベルのようなせりふ回しが何十箇所か登場して、だいぶ辟易するが。

 p220
 「クワンデ(広大)のわたしは、どこで生まれたかも父も母も知らない。物心ついたら、揚州仮面劇の一座にいて、綱渡りをさせられていた。一緒に育った子供たちは何人もいたけど、親方様に売られて、ある日突然いなくなってしまう。そのうちの一人が日本に渡ったと聞いたことがある。朝鮮語のクワンデ(広大)は日本語ではクグツと発音するんだってね?」
 クグツとは「傀儡子」と表記し、あやつり人形、あるいはそれを操る芸人を指す。大江匡房が著した『傀儡子記』に、日本の傀儡子は、朝鮮の流浪の芸能集団である広大などが源流であると記されている。広大や傀儡子は親方が勝手に売り飛ばせる被差別者集団であり、彼らの起源は奈良時代をはるかに遡るから、その種の職業階級への差別は文字や仏教儒教の伝来とともに古いのかもしれない。
 p256
 わが朝鮮では、儒教の教えで国を支え律しているが、それとは全く異質の(経済合理)思想がこの日本で生まれ、深く根付いている。米会所頭の兵藤は和算の大家・関孝和の門弟だった一人で、関から西洋の代数学行列式微積分まで薫陶を受けたというではないか。
 数学に基づいて先物取引の符牒を操り、巨額の金銭を動かすという方法が発明され、それを体現した人間が商品経済の中心にいる。このことは、わが朝鮮や大陸の将来に暗い影を投げかけてくるような気がしてならない・・・・・。
 p344
 朝鮮人参や中国産生糸を扱う日朝密貿易の主要ルートの一つは、大阪、京都、琵琶湖、敦賀から隠岐を中継点として、朝鮮半島東岸の浦項へと至るものである。京都で調達された決済用の銀はこうしてソウルにもたらされる。敦賀隠岐浦項は北緯三六度線上に一直線に並んでいる。
 古代より、日本海では、この線上をたどれば船が最も安全に速く走れるといわれた。現皇室の直系の祖である第二六代継体天皇(在位507−525)が半島から遠征に使ったのも、そして北朝鮮が日本人拉致に使ったのも、おそらくこの北緯三六度線上の高速ルートである。