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ディック・フランシス 『興奮』(ハヤカワ文庫)

 作者ディック・フランシスはもともと騎手だったということだ。それも1953年から1954年のシーズンでイギリスの障害競馬においてリーディングジョッキーになったほどの有名騎手である。1953年から1957年にかけてはエリザベス王太后の専属騎手を務めたらしい。1957年に騎手を引退し、競馬担当の新聞記者を経て1962年から2000年まで年に一冊のペースで長編小説を書き続けた(ウィキペディア)。非常に多作の人だが、夫人と子供が執筆助手に当ったということだから、本人は原案作りだけを担当し、実際のタイピングは夫人と子供およびスタッフに任せていたのだろう。400ページを年に一冊、40年間も続けるというのはそうでもしないと無理な話である。
 作品の中に、「爵位を持つ男の家族や国家経済に貢献している本物の紳士しか一等車には乗るべきではない」 という列車乗客の会話や、「おまえたち事務員はあっちの客車に行け」という車掌のせりふが出てくる。ディック・フランシスはこの文章を書くに際して何も気を遣わなかったにちがいない。中世の旅芸人に近い社会階層である厩務員から騎手のトップに上り詰め、選ばれてエリザベス王太后の専属騎手を4年間勤めれば、よほどの偏屈者以外そうなって当たり前である。
 ディック・フランシスの競馬シリーズは日本でもよく売れているみたいだ。本書『興奮』の日本語版は1976年初版、2011年で29刷を重ねている。菊池光がシリーズのほとんどを訳しており、名訳の評判が高いという。アマゾンのブックレビューでも多くの作品に四つ星や五つ星がついている。だから言うのが気が引けるのだが、ちょっと文章が書けるなら中学生でも冒さない文法上の不作法が、本書たった一冊で何十カ所もあるのはどうしたわけか。
 たとえばp101。主人公の「私」に顔見知りの厩務員の一人が言うせりふ。
<厩務員の一団が私のほうに寄ってきた。 「よう、だいぶ元気にやってるじゃねえか」と、派手な明るいブルーのスーツを着た背の高い私と同年配の厩務員が言った。>という箇所だ。
 この場合、フツーにすらすらと読めば、「私」は<派手な明るいブルーのスーツを着>ているはずだ。ところが少し前を読むと「私」はもっとラフな格好をしていることになっている。だから読者は????と、立ち止まってここを何度も読み返すことになる。そしてようやく、<私と同年配の>という六文字の場所が間違っていることに気づく。<厩務員の一団が私のほうに寄ってきた。「よう、だいぶ元気にやってるじゃねえか」と、私と同年配の、派手な明るいブルーのスーツを着た背の高い厩務員が言った。>・・・・・と書けば何の問題もないはずである。おそらく菊池光は他人にまかせた下訳の校正をしなかったのだろう。
 この本は養老孟司の「私の読書目録」で称賛されていたものだ。あの鋭い養老さんが、たとえ移動中に斜め読みしても、水準以下の文章作法に気付かなかったはずはないのだが・・・・・。養老さんのおススメは、こと小説に限ると疑わしいことがままあったが、この競馬シリーズもその一つである。