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岸田 秀 『ものぐさ精神分析』(中公文庫)4/8

 <何のために親は子を育てるか>

 「親孝行」思想には、無償では子を育てる気になれない
 親の気持ちが露骨にのぞいている

 p188-93
 たとえばネズミなどの下等哺乳類の母性愛の生理学的基盤としては、脳下垂体から分泌されるプロラクチンという物質があって、この物質は胎児によって刺激されて分泌され、乳腺に働いて母乳が出るようにするのだが、これを処女のネズミに注射すると子ネズミに対する育児行動が現われることがあり、動物の育児行動が一貫した本能の連鎖に組み込まれていることがよく分かる。
 その他の本能についても同じだが、人間においては育児本能もこわれてしまっており、親を育児行動に駆り立てる強制力をとっくの昔に失っている。つまり人間の親は、自活できるようになるまでにはきわめて長い時間を要する自分の子を、動物の親と違って、育てないことができる。そういうふうに私たちの本能はこわれてしまっている。殺してコインロッカーに捨てることもでき、(中国では年間百万人を超えると言われるように)お金を取って売ることもできる。これらはなんら人間性に反した行動ではなく、動物にはできないきわめて人間的な行動である。
 ・・・・・・・・突然変異のためか、定向変化の結果かは知らないが、ある種の畸形的進化によって人類は昔々のその大昔のある時代に、このようにこのように育児本能に頼っては子を育てるできず、人類が滅びてしまう危険に直面したと考えられる。そのとき育児行動を根拠づけるなんらかの人為的観念をつくりあげなければ、人類の存続は不可能だった。
 この人為的観念、あるいは思想といってもいいが、その形成に失敗した多くの部族が滅んだことだろう。不適切な(育児)思想を形成した部族も次の世代を十分確保できず、滅びてしまったに違いない。

 ・・・・・・人間の親にとって、育児は本質的に無理な負担なのである。この無理な負担を背負うことを、あれやこれやの理由を設けて親に納得させるための思想が育児思想である。・・・・・・父殺しと近親相姦が人類の二大タブーであるとされるが、わたしはこのほかに子捨てのタブーを加えて、この三つのタブーが部族を存続させるために打ち立てられた三本の柱であったと思う。いうまでもなく、タブーが必要なのは、子なんか放り出したいという強い衝動が親に存在しているからである。
 同じ育児思想といってもその内容は文化によっていろいろであって、・・・・・東洋の親孝行の思想には、無償では子を育てる気になれない親の気持ちが露骨にのぞいている。この思想は親の負担を子に移すことによって軽減しようとするものだが、子が親に孝行するのは親が子を育てる以上に無理なことであって、いずれそのうち、親は子に失望し、子は後ろめたさを感ずるという、親と子のどちらにとってもよくない結果になるのがオチである。
 ・・・・・・・とくに日本においてはその傾向が強いが、女に対しては母性愛の神話が提供される。母は子のためにすべてを犠牲にして悔いず、子は母をいつまでも慕いつづけるという神話である。母親とはそうしたものだと言われるが、この観念は(日本では特に多くの階層に支持された)文化によって規定されたものであって、冒頭のこわれてしまっている母性本能とは何の関係もない。