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東 浩紀 『弱いつながり』(幻冬舎)

 著者によれば「哲学とか批評とかに基本的に興味がない読者を想定した本です」ということ。その通り、「弱い絆の大切さ」が「飲み会で人生論でも聞くような気分でページをさくさくとめくれる」ように、やさしく書かれている。
 p13−5
 「いまあなたは、あなたを深めていくには、強い絆が必要だと思っていないだろうか」、と著者は序章で言う。「しかしそれはあなたの思い違いだ。あなたが強い絆ばかりで結ばれた環境にいれば、あなたはその環境に取り込まれてしまう。あなたがグーグルで本を探そうとすると、あなたの読書歴を知っているグーグルは、<あなた好みの本>だけをリコメンドしてくる。世の中にはあなたのまったく知らなかった興味深い本がゴマンとあるのに、グーグルは<これまでのあなた>好みの狭い世界の本しか教えてくれない。つまりあなたはグーグル検索エンジンという環境をつくる機械の捕虜になってしまうのだ。」
 p103−5
 「<強い絆>にマイナスの側面があることはネットの上だけのことではない。たとえば福島原発事故の現場のレポートは、日本では「いまでも作業員は、想像を絶するような放射線量に曝されながら終わりのない廃炉に取り組んでいる」というトーンで書くのが決まりごとのようになっている。
 しかしぼく(著者)が25年前に爆発したチェルノブイリ原発内で測定した空間放射線値は12マイクロシーベルト時だった。これを<想像を絶するような放射線量>と言ってもまちがいとは言えないし、チェルノブイリ廃炉作業にも終わりが見えないのも福島の場合と同じです。しかしぼくたちが取材した限りでは、チェルノブイリの作業員は高い放射線量に曝され続けていたわけではないし、彼らは鼻歌を歌ったりラジオをかけたりして、特別な緊張感や悲壮感は感じられませんでした。」

 著者が言いたいのは、決まりごとの言葉を発し続けていると必ずその言葉づかいによる<固定した環境>が作られてしまうということである。環境が固定してしまえば、わたしたちは決まりごとの言葉でしか世界を検索できないし、決まりごとの言葉で世界を検索しても、コンピュータのエンジンはどこかで聞いたことがあるような答えしか返してこない。偶然にひらめいた検索ワードを駆使してみる冒険心さえあれば、「ぼくたたちは、無限の情報と無限の物語を引き出すことができる時代に生きている」(p104)というのに。
 私たち日本人は、一つところにずっととどまる「村人」や、全員が顔見知りの「町内会」や、同じ会社(全国300の藩)一筋の「正社員」が、この何百年も大好きである。検索ワードをくるくると変えながら無限の物語を探していくことを、国民的心性として大の苦手とするのだ。毎日毎日確かめ合う限られた世界との強い絆のほうが、たった一回の、それが終われば焼かれた骨以外跡形もなく消えていく自己の人生よりも、あたかも大切であるかのように。
 (福島原発をめぐる住民の<強い絆>が<市民相互監視クラブ>に変貌していく過程は、吉村萬壱氏の小説『ボラード病』にくわしい。安心とか安全とか環境とかの検索ワードばかり入れている人には、とても不愉快な小説だろう。)