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リチャード・C・フランシス 『エピジェネティクス』(ダイヤモンド社)3/3

 p169
 細胞が変質してがん細胞になる過程については、主に二つの見方がある。従来の見方では、がん細胞はニューロンや皮膚細胞などの完全に分化した細胞から生じるとされる。そのような細胞が分化を停止して、幹細胞のような増殖能力を取り戻したのががん細胞だ、というのである。この「分化停止=がん化」の立場をとれば、がん細胞が元の細胞の特徴をいくつか保持している理由も説明できる。
 ところが最近、がん細胞は劣化した体性幹細胞からも生じるという説が発表された。この「幹細胞」説では、がん細胞が幹細胞に似ているのは、幹細胞由来だからとされる。正常な体性幹細胞だったものが道を間違えてがん細胞に変化したというのである。
 この説によれば、普通の体性幹細胞と同じく、劣化した体性幹細胞も分裂は非対称で、がん幹細胞一個とがん細胞一個に分裂する。ゆえに、幹細胞の数は増えないが、新たに生まれたがん細胞は普通の細胞のように対称分裂をするので、分裂のたびにその数は倍増していく。このような細胞分裂が繰り返され、最終的に生じる腫瘍は、少数のがん幹細胞とおびただしい数の分化の進んだがん細胞によって構成されることになる。
 この二つの理論は、どちらかが正しく、どちらかがまちがっているということではなさそうである。多くの前立腺がんではさまざまな分化停止の兆候が見られるが、白血病などは幹細胞説のほうがうまく説明できる。
 p170-1
 そもそも、いったい何のせいで、細胞はがん化するのだろう。これまで40年以上にわたって正解とされてきたのは、一個の細胞の遺伝子が変異を起こし、それが主な原因となって細胞が以上に増殖する、という説明である。増殖する細胞集団の中でさらなる変異が蓄積し、さまざまな遺伝子が混在した状態になる。これらの多様な遺伝子は増殖する過程で競い合ってますます悪性になり、ついには転移し始める。つまり、がんは発生から転移まで、すべて遺伝子の変異の問題なのだ。この考え方は「体細胞突然変異説(SMT)」と呼ばれている。つまりSMTによれば、がんは一種の小規模な進化である。
 p174-5
 これに対してエピジェネティクスの立場からは、がんは、広範囲に及ぶ脱メチル化をはじめとする、システムのエピジェネティックな崩壊によって発生すると説明される。広範囲に及ぶ脱メチル化は、がんに先行する良性腫瘍も含め、がん遺伝子の変異が起きる前によく観察される。脱メチル化は染色体数の異常をひきおこし、あわせて、(100種を超えるとされる)がん遺伝子の発現も増加させることが分かっている。
 p177
 (主体は遺伝子の変異であるという)ジェネティックな理論も、がんは細胞システムのエピジェネティックな崩壊によって発生するというエピジェネティックな理論も、これまではがん細胞の中で何が起きているかに焦点を絞ってきた。しかし最近では、むしろ細胞の微小環境に注意が向けられるようになった。微小環境には免疫システムや血液供給、がんが発生する正常組織も含まれている。
 微小環境からのアプローチの一つに「組織由来説」がある。これは細胞同士の正常な相互作用が破綻した結果、がんが引き起こされるというものだ。言うなれば「コミュニケーションの失敗」である。組織由来説は、がんのダイナミクスの大半が正常な細胞に支えられていることに注目する。がん細胞は、何にせよ、正常細胞から生まれ、それらと相互作用しているのだ。