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九鬼周造 『「いき」の構造』(岩波文庫)

 巻末に多田道太郎の立派な解説が載っている。簡明にして要を得たもので、十数ページのこれだけを読んで、本文を読んだ気になってもまったく問題はない。
 九鬼周造は京大教授だったし、墓が京都・白川疏水沿いの法然院にあるから、京都のひとだと思っていたが、実際は東京の人である。それも九鬼水軍の末裔ともいわれる名家の出で、父親九鬼男爵は駐米全権大使も務めているそうだ。
 九鬼周造は背が高く、冷徹な感じの風貌を持つ人だったという。多分父親のものを受け継いだのだろう。周造は明治中ごろの生まれだが、そのころの父親の、長身の男爵外交官といえば花街でのもてはやされ方はいまでは想像もできないほどだったに違いない。周造の母親はもと京都の花柳界の出身で父親がそこから彼女を抜いて男爵夫人の地位を与えたと、父親の友人・岡倉天心の息子が書いているらしい。のちにその母親「はつ」が岡倉天心と熱い中になり、周造の生涯にわたって影を落とすことになるのだが・・・・・・。
 『「いき」の構造』は東京の貴族に生まれた哲学者が、江戸末期の花街の美意識の構造を西洋哲学の論理で解き明かそうとしたものである。わたしは京都西陣の織屋が親戚にあったから、粋(すい)という言葉をよく聞いた。鈍い赤、渋い茶、くすんだ青、濁った黄、生成りの白などから適宜の数色を品よく配合した縦縞柄の反物によくこの「粋」が使われていたように思う。本文にも九鬼が書いていることだが、花柄や曲線模様、亀甲模様などは決して「粋」とはいわれなかったと記憶している。
 冷徹な九鬼周造は、若いころの留学時代ハイデッガーに知遇を得、年下のサルトルにフランス語とフランス哲学の基礎を学んだ自負心も強かったのだと思う。その自覚を持って、記憶定まらないころから自分の周囲にあった文化文政期の遊里の美意識を「大和民族の意識構造のかなめの一つ」として『「いき」の構造』の中に展開してゆく。
 記述の中には「上方にコンプレックスを持つ東京貴族の強引さ」が感じられないこともない。しかし1930年という刊行の年を考えれば、多田道太郎も言うように、「尊ぶべき大和民族ならではの現象」に西洋論理のメスを向けた九鬼周造の胆力の強さを思わないわけにはいかない。 このブログにも書いたことがあるが、丸山真男は『個人析出のさまざまなパターン』のなかで、近代化にともなう個人の心理や行動の変化を<遠心的―求心的><結社形成的―非結社形成的>という大胆な図式を用いて分析している(2014年12月29日)。丸山は九鬼に劣らず同じく強靭な胆力の持ち主だったが、彼の大胆な図式はすぐ下に写した本書中の有名な「趣味の六面体」にインスパイアされたものではなかろうか。
 以下は読者の好悪が、多分、相なかばする九鬼美学のいくつかの例。

 p49
 「いき」は趣味体系の一員であるが、「いき」を構成し、これにかかわる他の趣味との関係はつぎの直六面体で表すことができる。
AからHまでの八つの頂点は八個の趣味をあらわしている。上面ABCDと底面EFGHにおいて対角線で結ばれた各頂点、および右側面の矩形CDGHと左側面の矩形ABFEにおいて対角線で結ばれた各頂点は、それぞれ常になんらかの対立を示している。

 p55−60  身体的表現としての「いき」
・音声としては甲走った最高音よりも、ややさびの加わった次高音のほうが「いき」である。
・全身に関しては、かるく姿勢を崩すことが「いき」の表現である。男姿、女姿、立ち姿、居姿、後姿、前向き、横向きのいずれにおいてもそうである。
・うすものを身にまとうことは「いき」である。浮世絵はしばしばこのモチーフを採用する。
・「いき」な姿としては湯上り姿もある。
・顔のよそおいに関しては、薄化粧が「いき」の表現と考えられる。
・髪は略式のものがよい。島田髷なら潰し島田や投げ島田が「いき」である。

 p71−77  模様表現としての「いき」
・縞柄は「いき」な柄である。縞には「いき」の三要素、すなわち(男女間の)媚態、意気地、諦めが具体化されているからである。縞は直線から構成される。直線はきっぱりした人の情である。縞の直線は平行線である。すなわち美しい媚態のごとく、常に離れることなく寄り添いながら密着することがない。永遠に密着することがないのであるから、縞柄は潔い諦めをもその裡に秘めている。
 同じ縞柄でも縦縞のほうが「いき」である。両眼は水平に並んでいるから、縦縞のほうが上述の縞柄の持つ「いき」の三要素を明瞭に感得しやすいためである。
・複雑な模様は一般的に「いき」ではない。籠目、うろこ、亀甲模様などは三角形や六角形を基本に成り立っているが、「いき」でるには煩雑すぎる。・・・・中国の万字繋ぎや亜字模様にいたってはますます複雑である。勧善懲悪や合離去就を執拗に象徴化した亜字模様は中国趣味の悪い方面を代表して、「いき」とは正反対のものである。