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キャリー・マリス 『マリス博士の奇想天外な人生』(福岡伸一訳)(早川文庫)1/2

 キャリー・マリスは1993年のノーベル賞を受賞したアメリカ人化学者。その彼の、虚実ないまぜの「噂」に満ちた、波乱万丈の人生の自叙伝である。有名大学の教授には一度もならず、巨大製薬会社には一度もお抱えにならず、どの職場でも女性とのゴシップがたえず、講演会では平気な顔をして業界のタブーに触れる。ノーベル賞の前年には「日本国際賞」をとっているのだが、受賞レセプションの夕食会では隣席の美智子皇后にいくつもジョークを飛ばし、皇后を何度も笑わせている。
 ・・・・・・・・ヒトゲノムは30億個の文字列から成り立っている。そのなかの特定DNAを研究者が物質として扱えるようになるためには、この特定DNAを10億倍以上にコピーする必要があるらしい。そうしないと、研究装置に時たま映るバーコード模様にはなっても、われわれの目に見えてこない。
 ところが、DNAは細胞分裂のとき2,4,8,16,32,64・・・・・・・と倍々ゲームで増加する。1回の分裂に要するのはわずか数分。そして30サイクル目にはコピー数は10億を超える。キャリー・マリスはこのDNAの自己増殖という生物の基本性質を利用して、数時間とか数日のうちに目的のDNAを検索・増殖させる画期的な 「PCR(ポリメラーゼ連鎖反応)」 装置を発明してノーベル賞を獲得した。翻訳者が福岡伸一氏ということでこの本を読んだのだが、福岡氏のアメリカでの研究生活はこのPCRなくして進められなかったらしい。福岡氏によれば世界の生化学者でPCRの恩恵にあずかっていない人はいないそうだ。

 等身大の科学を
 p115-7
 幾何学代数学の法則はもともとわれわれの「知覚」から出発しているのであり、われわれが日常、見聞きする現象を説明できるはずである。たしかにボールを投げたり、ミサイルを打ち落としたりできるという事実によって、(われわれの五感に近い)幾何学代数学の法則の正しさを検証することができる。
 しかし、今日、私たちの世界の根幹にある問題はそのようなレベルにはないと考えられている。微小レベルの物質世界では、代数学はもはや役に立たない。代数学は時間と空間の関数であり、微小な物質世界では時間も空間も正確な因果関係を示さない。そしてそのような微小な物質世界がすべての現象の基礎を成していると考えられている。
 この事実は、ある重要なことを物語っている。もしその世界が、幾何学も役に立たないような世界であるならば、その世界のことを私たちが理解しようとすること自体が無理なのである。つまり、知覚をもとにした幾何学が成立しない場所を、知覚によって理解することは無駄なのである。その世界では、質量を持たず、存在場所も特定できないクォークや電子と言った素粒子が飛びかっているとされる。そんな場所のことをどうして知覚が理解できよう。もし、質量もない、場所も分からないような物質のことが理解できるとすれば、それはもはや狂気の領域ではないか。