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内田 樹 『こんな日本でよかったね』(文春文庫)

 校長先生の朝礼の話や来賓の祝辞が面白くない理由
 p48-9
 面白い話というのは、一言でいえば、ひとつの語を口にするたびに、それに続く語の「リストが豊富」であり、しかも筋道が意外な「分岐」をする話のことである。
 「リストが豊富」とは、「梅の香りが」という主語の次に「する」という動詞しかない話者と、「薫ずる」、「聞こえる」という語のリストも持っている話者とでは、そのあとに展開する文脈の多様性に有意な差が出るということである。
 「分岐」とは、「分岐点がない言い方」というのを思い浮かべるとわかりやすい。校長先生の朝礼の言葉とか議員の来賓祝辞では、<冷凍庫で凍らされたような>ストックフレーズが15分も続いたりする。
 ある語の次に「予想通りの語」が続くということが数回繰り返されると、わたしたちはその話者の話を聞きたいという気をなくしてしまう。「もうわかったよ、キミの言いたいことは」とわたしたちは思ってしまう。

  格差社会」を言い募ることが、それを聞く人をさらに拝金主義にする
 p113-4
 格差社会というのは、格差が拡大し、固定化した社会というよりはむしろ、人間を序列化する基準としてお金以外のものさしがなくなった社会のことではないのか。
 フリーターも、ニートも、ネットカフェ難民も、過労死寸前サラリーマンも、みんなより多くの金を求めて競争している。その結果、「金を稼ぐ能力」の低い人間は、その能力の欠如「だけ」が理由で、社会的下位に叩き落され、そこに釘付けにされる。
 その状態がたいへん不幸であることは事実だが、そこでメディアが「弱者の彼らに、もっと金を」というソリューションを言い立てることは、「金の全能性」をさらにかさ上げすることになりはしないか。結果的に「金を稼ぐ能力」のわずかな差が社会的階層の乗り越えがたいギャップとして、さらに顕在化する・・・・・、という悪循環に陥ることになりはしないか。
 
 日本が辺境で何か問題でも?
 p244-6
 卑弥呼が「親魏倭王」に任ぜられてから、「日本国王足利義満まで、日本は中国皇帝から辺境の王として封爵を受けていた。以来、日本はその歴史のほとんどの時期を「辺境」として過ごしてきており、「辺境の民」であることの心性は深く国民性のうちに血肉化している。1945年から後は、アメリカの属国として封爵を受けている。
 いま小学生から英語を習わせようというのは、かつて寺子屋四書五経素読させたのとメンタリティは同じである。江戸時代の子供だってべつに、「町で中国人に道を聞かれたとき困るから」という理由で漢文を教わったのではない。遠い海のかなたに中国という上位文化があり、その底知れぬ奥行きを学ぶことが辺境の民としての「義務」だと観念されていたからそうしたのである。それがみごとに奏功して、その時代の日本人の識字率は世界一の水準に達した。
 日本人がバカになり、世界に侮られるようになったのは、80年代のバブル以降であるが、それは「おれ達はもう辺境人じゃない。俺たちこそトレンディなんだ」と夜郎自大な思い上がりにのぼせ上がったからである。
 のぼせ上がったのは、それまでの自分のありようを弊履を捨つるがごとく捨てるのが「自分らしさの探求」であり、「自己実現」への捷径であると信じたからだった。こんな考え方をするのは世界で日本人だけである。わたしはそれを、自分たちの文化が上位参照文化であることを血肉の深いところで噛みしめている「辺境人性」と呼んでいる。