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莫 言 『赤い高粱』『続 赤い高粱』 (岩波現代文庫)

 莫 言の名が世界に知られたのはこの『赤い高粱』によってであるらしい。発表は1986年だが、翌年の同名映画がベルリン映画祭で金熊賞を獲得してから、その原作者としてメディアに注目されるようになったということだ。
 2012年のノーベル賞受賞作となった『赤い高粱』『続 赤い高粱』は中国東北地方の、凄惨な抗日ゲリラ戦の模様を表面の主脈にした、すさまじい農民小説である。バルガス・リョサの『緑の家』や『都会の犬ども』、ガルシア・マルケス『誘拐の知らせ』、『百年の孤独』といった南米の凶暴なフォークロア小説に似た読後感がある。事実、莫 言はガルシア・マルケス百年の孤独』に大きな影響を受けたらしい。莫 言は、西欧近代教育を受けた人間の理解を超えたところがあるガルシア・マルケスの作品に、人間の血に大地の養分が相入り混じっているような中国人民の下意識を映しだす文体の秘密を発見したい違いない。
 日本軍の戦車や歴代皇帝に踏みにじられようと何をされようと、中国人民の下意識は変わらない。大地の養分が相入り混じっているような彼らの血とは、毎年秋になれば数百キロ四方を真っ赤に熟れたたわわな穂先で埋め尽くす高粱のように、圧倒的な人民の「数」でユーラシア大陸を埋め尽くそうとする、眩暈のような「民族の意思」のことである。だからこそ彼らは、漢族であろうと満州族であろうと蒙古族であろうと、敵とみなした相手は、ヨーロッパであれロシアであれトルコであれ、あれほど残虐に殲滅しないではおかないのだ。

 抗日統一戦線を英雄的に語ることは、中国人民のナショナリズムを高揚させ、国内の意識を一つの方向にまとめる最高の方策だとされている。作者・莫 言にそうした意図はないのだろうし、貧しい農民といわゆる匪賊のゲリラ抵抗運動は中国読者の胸を熱くする役割を果たしているに過ぎないが、それにしても作中での侵略日本軍の書かれかたはひどいものだ。
 抵抗する農村の女は、捕えられると必ず凌辱される。その女が妊婦であると、腹が銃剣で割かれ、ようやく人間の形をしかかった胎児がとりだされて、庭の泥に中に打ち捨てる。女に小さな子供がいると、その子を銃剣で串刺しにして、ゴムボールのように空中に放り投げる。また、徴用された騾馬と見張りの日本兵を殺した匪賊は、生きたまま生皮を剥がされる。それも、現地農民の家畜屠殺業者を使って同じ村の顔なじみの男の皮を剥がさせるのである。次の一節を読むとき、わたしは数回目を閉じなければならなかった。
 p64−5
 (日本兵を殺した農民の)羅漢大爺は(顔見知りの屠殺業者)孫五に言った。「おまえ、頼む、ひと思いにぐさりとやってくれ。そうしてくれればあの世に行っても恩は忘れねえ」
日本軍の傀儡通訳が言った。「はやくやれ!さもないとこのシェパードにお前の腹を食いちぎらせるぞ」  脅された孫五は顔色を変え、ずんぐりした指で羅漢大爺の耳を握った。  「爺さん、許してくれ!」
 わたしは孫五の包丁がのこぎりで丸太を引くように羅漢大爺の耳を引き切るのを見た。羅漢大爺は狂ったように叫び続けた。赤茶色の小便が股間からとぎれとぎれに噴き出た。孫五はもう一方の耳も切り取って、ほうろうびきの皿に乗せ・・・・・・、日本人将校の前に持って行った。日本人将校はその皿を取り上げてシェパードの前に置いた。シェパードはとがった鼻で耳の匂いを嗅いだが、首を振り舌を垂れてうずくまっただけだった。
 通訳が孫五に言った。「おい、続けろ、早くやれ!」  耳をなくした羅漢大爺の頭部はひどくさっぱりしてしまっていた。孫五は腰をかがめて、羅漢大爺の男性器官をぐいと抉り取り、日本兵が持っている別の皿に置いた。その皿をシェパードの前に置くと、犬はちょっと噛んでから吐き出した。羅漢大爺はすさまじい叫び声をあげつづけた。痩せこけたからだが杭につながれたまま激しくのたうっている。
 また通訳が言った。「早くやれ!」  孫五は這い起きてよろめきながら、羅漢大爺に近づいて言った。「爺さん・・・頼む・・・辛抱してくれ!」
 孫五は包丁を手にして、羅漢大爺の頭のめくれ上がったところから皮をはぎ始めた。羅漢大爺の頭皮がめくれ、青紫の眼球が現われた。突起した肉が現われた・・・・。孫五は、もはや正気を失っていた。彼は入念な包丁さばきで、羅漢大爺を一枚の見事な皮にしていった。そして羅漢大爺は一つの肉塊にされてしまってからも、そのはらわたはぴくぴくと動いていた・・・・・・。

 莫 言はノーベル賞受賞記念講演で「わたしは物語の語り手であり、これからも中国華北に生まれ育ったわたしの物語を語り続けます」と述べたという。翻訳者によれば、「物語の語り手(講故事的人)」とは日本で言う「講釈師」のことだそうだ。この記念講演で莫 言は、「自分は故郷にあったひとつのネタ(今の場合は抗日戦争)をもとにいくつも尾ひれを付けて、三国志水滸伝紅楼夢・・・・・と脈々と続く中国二千年の大エンタテインメント小説を書き継ぐつもりである」と宣言したということができる。
 だから、この小説も、中国人民が純粋な「正義」としてだけ描かれているのではない。「抗日」は最終目標ではあるのだが、貧農(=匪賊)と国民党軍と共産党八路軍は分裂に分裂し、日本軍から奪い取った乏しい武器弾薬を狙って村落や中隊を全滅させるなど、抵抗組織として混乱を極めている。極貧の農民が八路軍地方支部の前で凍死するのを窓下に見ても、同じ農村出身の成り上がり党書記は旧正月に何を食べようか考えるのを邪魔されて、「その死体を早く片付けろ!」と怒鳴るだけである。
 中国四千年の史実はたぶんこうだったのだろう。作者は最終章のエピローグにあたるところで、自分がこれまでに「意図的に学んだ論理的思惟」の脆弱さを疑っている。「四千年、赤い高粱に育てられた中国人民においては、近代の論理的思惟などは、ただ悧巧そうに見えるだけの飼いウサギの頭にくっついたコブみたいなもなのじゃないのか。わたしの目にも、小賢しい価値体系にからめられたあの悧巧そうな色が出ているのではなかろうか?わたしの仕事は、とにかくたっぷり時間をかけ、より多くの人物を暴れ回らせて、真に迫った空言をでっちあげることなのだ」。